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「戦後80年-戦争とハンセン病」(国立ハンセン病資料館)開幕レポート。果たして本当に戦後か、ハンセン病患者・回復者の戦争の記憶をたどる【2/4ページ】

 1フロアのギャラリーには、国立ハンセン病資料館やしょうけい館、沖縄愛楽園から寄せられた所蔵品や写真資料が並んでおり、様々な角度から当時の状況を伝えてくれている。

 会場は全3章立ての構成。1章「戦時下のハンセン病療養所」では、戦争という危機的な状況の最中に、療養所の入所者たちが自身も患者であるのにもかかわらず、患者同士でケアをしなくてはならなかったこと、さらには戦争協力を強いられていたことが伺える資料が展示されている。多磨全生園では、運営予算の不足により患者自らが労働せざるを得ない状況となり、医療や物資、食糧の欠乏などの理由から、終戦間際には入所者の136名(全入所者の9.7%)が命を落とすといった事態に見舞われた。

展示風景より、手前は「柄入りの反物を裂いた包帯」。物資の不足により、入所者らは自らの着物を裂いて包帯として利用した。使用したものは何度も洗って再利用せざるを得ない状況だった
展示風景より。第一区府県立全生病院(現・多磨全生園)の園内誌『山櫻』の表紙絵には、思想統制による戦意向上の文言も見受けられ、患者の身近な場所にまで戦争の影響が及んでいたことがわかる