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「戦後80年-戦争とハンセン病」(国立ハンセン病資料館)開幕レポート。果たして本当に戦後か、ハンセン病患者・回復者の戦争の記憶をたどる【3/4ページ】

 2章では「沖縄戦」という観点から、ハンセン病患者への被害や、戦後もなお続いた沖縄愛楽園と宮古南静園の入所者による運動に焦点を当てている。 

 展示されている写真資料は、沖縄で激しい地上戦があったことのみならず、多くの患者が入所する療養施設にまで爆撃があったという異常さを物語っている。多くの死亡者が出たのは、ハンセン病患者を危険視した日本軍による武力を用いた「軍収容」によるものであり、入所者らは「強制隔離」と「沖縄戦」といった二重の被害を受けていたことがわかる。

展示風景より。戦争というと男性にまつわる記録が大多数を占めるが、ここでは当時愛楽園へ入所していた女性患者の体験記録も紹介されている点に注目してほしい。

 さらにここでは、沖縄戦での戦役者の名前を刻んだモニュメント「平和の礎(いしじ)」に、近年までハンセン病患者の刻銘がされていなかったことにも言及している。この刻銘は親族による申請制であったが、ハンセン病に対する偏見・差別を理由として家族からの申請が困難となっていたという。沖縄愛楽園と宮古南静園の両自治会による働きかけもあって、地縁団体である自治会による申請が可能となったのはつい2003年のことだという。現在では沖縄戦の犠牲となった入所者410名すべての刻銘が確認されている。

展示風景より、「薬莢でつくった灰皿」