第4章 ワイルドの「サロメ」
ビアズリーにとって大きな転機となったのが、同性愛の科によるワイルドの逮捕だった。これによりビアズリーも『イエロー・ブック』の美術編集から降ろされ、定収入を失うこととなった。
ビアズリーにこうした大きな影響を与えたワイルドだが、実際に両者が親しかった期間は1年にも満たなかったという。ビアズリーの挿絵を「たちの悪い落書き」だと一蹴したこともあるワイルドは、本来どのような「サロメ」像を求めていたのか。
この章では、「サロメ」以外のワイルドの著作全点の装丁を手がけた画家チャールズ・リケッツによる油彩画の《サロメ》(1925)が展示。またギュスターヴ・モローの名作《牢獄のサロメ》(1873〜76頃)をはじめとする多様な「サロメ」を展覧することで、ビアズリーによる大胆な「サロメ」との差異が浮かび上がらせている。
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