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「メキシコへのまなざし」(埼玉県立近代美術館)開幕レポート。いかに日本人アーティストはメキシコ美術の「精神」に呼応したのか【2/4ページ】

 第2章「美術家たちのメキシコ ―5人の足跡から」では、メキシコに魅了された美術家のなかから、岡本太郎、福沢一郎、芥川(間所)紗織、利根山光人、河原温の5人に焦点を当て、それぞれかどのようなかたちで自身の表現に反映させていったのかを紹介する。

 岡本太郎は1930年代、留学中のパリでシュルレアリストなどを通じてメキシコの芸術運動に衝撃を受けており、「メキシコ美術展」には実行委員として携わった。とくに大衆のための芸術というメキシコ壁画運動は岡本の思想とも共鳴し、強い影響を与えている。旧東京都庁舎に7点(11面)の陶板壁画を制作、さらにメキシコのホテルのために現在は渋谷駅にある《明日の神話》などは、まさに岡本とメキシコとの呼応によって生まれたといえる。

展示風景より、奥左から岡本太郎の作品群

 岡本は1963年にメキシコを初来訪。また、70年の大阪万博のテーマ展示プロデューサーに内定した後にも訪れた。岡本は、現地で細やかなリサーチを行っており、メキシコは岡本の作品のなかに強く流れる血脈になった。

展示風景より、左から岡本太郎《赤》(1961)、《建設》(1956)川崎市岡本太郎美術館蔵

 福沢一郎は53年から54年にかけて中南米を来訪し、いち早くメキシコ文化を紹介している。「メキシコ美術展」開催に際しては日墨間の仲介役を務め、『美術手帖』54年8月号では35ページにわたり「特集・メキシコ」を発表した。

展示風景より、福沢一郎《顔》(1953)

 福沢の絵画にはその色彩やモチーフにおいて明瞭にメキシコ美術からの影響が見てとれるほか、公共の場における大型の壁画も作成している。

展示風景より、左から福沢一郎《埋葬》(1957)、

編集部

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