戦後の1950年代には、日本の「土」が掘り起こされた。焼け野原を復興するために再開発・発掘調査が行われ、各地で出土品が発見。GHQによる皇国史観からの脱却が促される最中であったこともあり、その出土品の数々から新たな日本の伝統やイメージが形成されていった。2章「『伝統』を掘りおこす─『縄文』か『弥生』か」では、考古学的視点から新たな日本の姿が探求されていったことが伺える資料が展示されているとともに、高度経済成長を経て都市開発が進んだ時代における「土の芸術」の在り方に焦点を当てている。
抽象画家・長谷川三郎の作品からは、ハニワとキュビスムの結びつきもみて取れる。また、アンリ・マティスを師と仰ぎ、イサム・ノグチとも親交があった猪熊弦一郎は、1951年に国立博物館で開催された「日本古代文化展」でハニワの造形美に感銘を受け、その影響とも取れるような作品を残している。
大展示室中央には、イサム・ノグチや岡本太郎らによるテラコッタや陶の作品群が並んでいる。古代遺物にも見受けられる「土からつくる」といった原初的な造形方法にアーティストたちが立ち返ろうとする様子とも受け取ることができるだろう。
鮮やかな色彩で壁面を覆うのは画家・芥川(間所)紗織による《古事記より》だ。13.5メートルにもおよぶこのろうけつ染めの大作は、1950年代に日本国内で盛んに紹介されていたというメキシコ美術の影響を受けており、古代と現代が融合するイメージで当時描かれたという。そのおおらかな表現は通常の歴史画にはみられないものだ。
戦後はコンクリートやアスファルトによる都市開発が進み、「土」はもはや過去のものとなっていった。そんな土から出土してくる「ハニワ」や「土偶」は過去を懐かしむ気持ちからも、愛される対象となったのではないだろうか。