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「ハニワと土偶の近代」(東京国立近代美術館)開幕レポート。ハニワ・土偶のイメージとしての側面を探る【2/4ページ】

 1章「『日本』を掘りおこすー神話と戦争と」では、近代国家「日本」において、ハニワが「万世一系」を表す神話的な存在として語られてきたことを示す作品や資料が紹介されている。

 例えば、京都住まいであった画家・都路華香(つじ・かっこう)は、1916年の大正期に埴輪をつくる人々を描いた。これは、明治天皇の伏見桃山陵が造営され始めた際に、同時にハニワづくりが復活。その様子が描かれたものだ。都路にとって、この時事的な出来事は古代と現在が交差する興味深い主題だったのではないだろうか。

展示風景より、都路華香《埴輪》(1916頃)京都国立近代美術館

 神武天皇即位から1600年となる1940年には奉祝ムードが高まり、子供から大人まで幅広い製品にハニワのイメージが用いられるようになった。そのような流れを当時のモダニズムの画家たちも受け取っており、作品に大きな影響が表れている。戦中は抽象絵画への厳しい検閲があったことからも、ハニワのイメージは画家たちの隠れ蓑ともなったようだ。

展示風景より、「萬葉百首 繪歌留多」(1927)
展示風景より、左から難波田龍起《埴輪について》(1943)、矢橋六郎《発掘》(1937)
展示風景より、手前は蕗谷虹児《天兵神助》(1943)

 上野の帝国博物館(現在の東京国立博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館)のハニワの部屋を描いた桑原喜八郎による作品。モダンな装いの女性たちと、詩人で彫刻家の高村光太郎が「大陸や南方で戦う兵士の表情」に似ていると称賛した武人ハニワが対照的に描かれているのが印象的だ。

展示風景より、桑原喜八郎《埴輪の部屋》(1942)戦没画学生慰霊美術館 無言館

編集部

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