アートが照らす福島浜通りの「いま」と「可能性」──福島浜通り映像・芸術文化プロジェクト トークイベントレポート

東日本大震災から15年を迎えた2026年3月11日、「Art & Imagination from FUKUSHIMA – 福島浜通り、創造のはじまり展」と題したトークイベントが渋谷ヒカリエで開催された。経済産業省が推進する「福島浜通り映像・芸術文化プロジェクト」の一環として企画されたこのイベントには、浜通りで生まれ育った地域コーディネーター・秋元菜々美、滞在制作を行った美術作家・三塚新司、映画企画コンペでグランプリを受賞した平田雄己の3名が登壇。創作の現場から見た福島浜通りの魅力と可能性を語り合った。

文=橋爪勇介(編集部) 撮影=山田早苗

多くの人々が集まった3月11日のイベント(渋谷ヒカリエ)

問いの立てようはいくらでもある土地──秋元菜々美

 秋元は被災当事者として町役場職員を経たのち、外部のアーティストと地域をつなぐ活動に従事している。演劇ユニット・建築ユニットと連携しながら手がけるのは、除染と解体によって「更地」となった土地の記憶を掘り起こし、新たな物語を編み直す試みだ。

 除染では5〜30センチの土壌が剥ぎ取られた。「日本の土は1センチ形成するのに約100年かかると言われている。そうして培われてきた文化や営みの土壌が失われた。この場所で、営みや文化はどのように立ち上げられるのか──それをある種の『上演』として、アーティストに問いとして投げかけながら制作をしている」と秋元は語る。

 浜通りの魅力について問われた秋元は、「福島は『原発事故の教訓=○○』という空白がまだ多い。だからこそ可能性だらけで、一人ひとりが切り開いていくような状況にある。そのフェーズに携われるのは、いまだからこそではないだろうか」と語る。

オンラインで参加した秋元
秋元が演劇ユニットhumunusと手がけたガイドブック

作品をつくらざるを得ない風景──三塚新司

 美術作家の三塚は南相馬市を中心に約3週間滞在し、12市町村の住民への聞き取りをもとに絵画プロジェクト「伝わらない記憶のプロセス」を手がけた。これは、住民から記憶の風景を言葉で聞き取り、想像だけで絵を描き、その絵を本人に見てもらうことで「伝達の不可能性」を可視化しようとする試みだった。しかし制作は予想外の展開を迎える。あえて抽象度が高い絵を描いたところ、「本当にこういう風景でした」という反応が返ってきてしまったのだ。「伝わらないプロセスが伝わってしまった。問いにならない」と三塚は当時の困惑を振り返る。

 行き詰まった三塚が向かったのは、リサーチ中に偶然通った、東京電力福島第一原子力発電所から約3〜4キロの場所にあるひとつの交差点だった。「空気が澄んでいて良い場所だと思ったのと同時に、なぜここだけ街が残っているのかと不思議に思った。原発事故後の不安や恐さ、疑問、でも美しい地域であることへの思い、そして自分自身の誤認──そうした感情が混ざり合った」。その後、同じ交差点の風景を繰り返し描き続けることになった。「おそらくこの先も何度も描くだろう」。作品制作が想定外の展開を迎えながらも、「このプロジェクトはコミュニケーションそのものが重要な要素。東京と地域をつなぐ対話のプロセスを大切にしたい」と三塚は語った。

三塚新司はもっと思い切った作品をつくってもよかったと振り返る
会場には三塚が手がけた「unesent memories」シリーズも展示された

「街が生まれる瞬間」に立ち会う──平田雄己

 映画監督の平田は、2025年度の映画企画コンペ「Fukushima Film Frontier Award 2025」(FFF Award 2025、応募157件)でグランプリを受賞。企画「サマー・サークル~夏の終わりに描く声~(仮)」の題材は、1921年に建設され、当時、東洋一の高さを誇った南相馬市の「原町無線塔」。すでに撤去されたこの塔を通じて、「つながり」をテーマにした映画を制作する予定だ。

 もともと平田は、外部の人間が被災地を題材に作品をつくることへの葛藤を長く抱えていた。「小学5年生のときに東日本大震災を経験したが、その場にいたわけではない。被災地を利用するようなかたちで作品をつくることへの抵抗感があった」。それでも応募を決めたのは、原町無線塔という「震災の前から続き、この先も続いていく土地の歴史」に接点を見出したからだという。

 現在は月に1度のペースで浜通りを訪れ、リサーチとロケハンを重ねている。そのなかで、双葉駅前のコミュニティスペースを訪ねた際の印象がとくに印象的だったと話す。「避難指示解除からまだ時間が経っていないなかで地元の方々が戻り、移住者と混ざりながら、新しく街がもう一度生まれていく瞬間を見ることができる。そういう場所はなかなかない」。

 また、「100年〜200年という単位で物事を考えなければならない土地であること、そしてその長い時間軸のなかに自分もいることを実感できる」点も、浜通りならではの魅力として挙げた。

現在進行形で福島を訪れ映画を制作している平田

まず、足を踏み入れてみることから

 3名の登壇者に共通していたのは、外部の人間を温かく迎え入れる浜通りのコミュニティへの驚きと感謝だ。三塚は「恐る恐る接していくと、びっくりするほど前向きで明るい言葉をかけてもらえた。こちらの方が気持ちとして沈んでいるくらいだった」と話す。避難・帰還・移住を住民の多くが経験してきたことで、外部の人間を受け入れる土壌が自然と育まれているのだという。

 また創作のサポート体制も充実している。例えば、相双フィルムコミッションは、ロケ地やエキストラの手配にとどまらず、地域の人・文化・歴史への深い導入を担っており、平田はその点を「作品をつくるうえで非常に大きな意味がある」と高く評価した。また、地域のコーディネーターや商工会のリーダーたちが、アーティストの希望に柔軟に応え、人や場所を紹介してくれる文化も根付いている。

 震災から15年という年月を経て、浜通りはいまなお変化の途中にある。その変化の真っ只中に立ち、アートを通じて問いを立て続けること──それこそが、この福島浜通り映像・芸術文化プロジェクトが生み出し続けている価値といえるだろう。

編集部