福島県いわき市にある四倉海岸が、蔡國強による白天花火《満天の桜が咲く日》で彩られた。蔡が30年前に日本の友人たちと協働して実現させた爆発プロジェクト《地平線プロジェクト 環太平洋より:外星人のためのプロジェクトNo. 14》の再来となる今回の作品は、いかに実現したのだろうか?
〈原初火球〉—それは私の思想とビジョンに基づく出発であり、今日まで私に付き添ってきた。──蔡國強
国立新美術館とサンローランは、国際的に大きな注目を集めてきた現代美術家・蔡國強(ツァイ・グオチャン/さい・こっきょう)の大規模な個展「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」を6月29日にスタートさせる。この待望の展覧会の開幕に先立ち、蔡國強が福島県いわき市でサンローラン バイ アンソニー・ヴァカレロからのコミッションワークである白天花火《満天の桜が咲く日》を、「満天の桜実行会」の主催によって披露した。
アンソニー・ヴァカレロがリードするサンローランにとって、本展を開催することは同ブランドの使命とも言えるビジュアルアートや映画、音楽など、様々なクリエイティビティへのサポートのもっとも新しい機会となる。
「火薬」が解き放つもの
1957年に中国の福建省・泉州市で生まれた蔡は、上海戯劇学院で舞台芸術を学んだ後、1986年12月から1995年9月まで日本で活動。筑波大学に在籍した後、東京、取手、いわきなどで制作するなかで、火薬の爆発による独自の絵画を開拓してきた。89年には多摩川での最初の屋外爆発プロジェクトを行なっており、以来、蔡は数十年にわたって世界中で一連の爆発プロジェクトを実現していることは周知の事実だ。
火薬は中国で祝祭のときに使われるものであるが、いっぽうで攻撃性も孕む。蔡は自身の作品で火薬を使い続ける理由をこう語る。
「私は中国南東部の福建省で生まれ、小さい頃は台湾との関係で争いが日常的にありました。火薬そのものは戦争でも使用されるものですが、いっぽうで結婚式や葬式、子供が生まれたときなどにもよく使われており、自分の生活にとても近しい存在だったのです。火薬の文化や意味を幼い頃から認識していたと言えるでしょう。私の父親もアーティストであり、彼は墨を使って絵を描いていましたが、私にとってそれは『真面目すぎる』ものでした。だから私がアーティストになろうと思ったときは、もっと野生的で自由でありたいと望んだのです。そうしたとき、火薬は手に入りやすい素材だったので、作品に使うことはごく自然なことでした」。
蔡にとって重要なのは、その火薬による「爆発」という現象だという。
「爆発のコントロールできないところ、不安感があるところに強い興味があります。爆発を通じて見えない世界や宇宙につながる感覚があるのです。白天花火は風が早ければすぐ流されてしまう。自然とのコラボレーションでつくるしかないのです。もし神の力が関与するならば、作品はもはやアーティスト自身をも超えてしまう。リハーサルはしません。人生と同じですね(笑)」。
サンローランがコミッションする意味
今回蔡が発表した《満天の桜が咲く日》。その場所は、1994年に蔡が日本の友人たちと協働して実現させた爆発プロジェクト《地平線プロジェクト 環太平洋より:外星人のためのプロジェクトNo. 14》と同じ四倉海岸だ。《地平線プロジェクト 環太平洋より:外星人のためのプロジェクトNo. 14》では、暗闇の海面に5000メートルに及ぶ5本の導火線が爆発した火が現れ、火薬の閃光によって地球の輪郭が描かれた。
《地平線プロジェクト 環太平洋より:外星人のためのプロジェクトNo. 14》と《満天の桜が咲く日》をつなぐ時間の間に東日本大震災が発生し、いわき市も大きな被害を受けた。震災の際にチャリティーオークションで絵画を販売して資金を援助したり、「いわき回廊美術館」に携わったりと、同地との関係を持ち続けている蔡。「本当は震災から10年となる2021年に、鎮魂と希望の意味を込めた花火のプロジェクトをやりたかったのですが、新型コロナウイルスの関係でそれは実現しませんでした」と語っている。
そんなとき、蔡にプロジェクトのコラボレーションを提案したのがサンローランだった。現在アンソニー・ヴァカレロがアーティスティック・ディレクターを務めるサンローランは、イヴ・サンローランの時代からファッションのみならずアートを含めた幅広い芸術分野と強い結びつきを保ってきた。サンローランは蔡の国立新美術館での個展を共催するとともに、いわきの白天花火《満天の桜が咲く日》をコミッションというかたちでサポートしている。
「サンローランという大きなメゾンがサポートしてくれることで、アーティストは大きな夢、大きな作品が実現できます。また多くの人々に作品を伝えることもできます。ただし大事なのは、いい作品をつくるということです。メゾンが協力してくれるからといって、作品がメゾンの『広告』になってしまうのはよくない。その警戒心は必要です。そのために、私たちはサンローランと綿密に調整を重ねきたのです」。
4万発の花火で表現された鎮魂と自然への畏敬の念
《満天の桜が咲く日》に使用された花火はじつに4万発。「地平線 ー白い菊」「白い波」「黒い波」「記念碑」 「満天の桜」「桜の絵巻」の全6章で構成され、時間は約30分に及んだ。花火のサイズは幅400メートル、高さ120メートルという壮大かつスペクタクルなものだ。
94年の《地平線プロジェクト 環太平洋より:外星人のためのプロジェクトNo. 14》の名前を継承する「地平線 ー白い菊」は、東日本大震災の犠牲者に対数する慰霊の思いを捧げたもの。蔡が導火線に火をつけると、12本の白い菊の花火が空へと舞い上がった。
それに続く「白い波」「黒い波」は、圧倒的な自然の力に対する畏敬の念を思わせるものだ。
巨大な白波が立ち上がり、その後、光が弾ける。「記念碑」は、まるで荘厳なモニュメントを連想させる花火となり、人々の視線を釘付けにしていた。
「満天の桜」では一転し、空に左から右へと、桜が次々と出現。海と空の間に現れた満開の桜の山はまさに圧巻だ。そして花火はこの日のクライマックスとなる「桜の絵物」で希望に満ちた光景が表現され、幕を閉じた。
亡き人々への鎮魂と自然への畏敬の念、そして東洋哲学における再生・不屈の精神、困難の中にいる人々への希望という多角的なテーマを盛り込んだ《満天の桜が咲く日》は、蔡の代表作のひとつとなったと言えるだろう。
そして国立新美術館での大規模個展へ
いわきでの白天花火の後には、国立新美術館での大規模個展が続く。蔡はこの展覧会を「自らを省みる展覧会」だと語っている。
「私は91年に東京のP3 art and environmentで個展『原初火球:The Project for Projects』を開催しましたが、今回の展覧会はその延長線なのです。91年の展覧会は、私にとってビッグバンのようなものでした。ではそのビッグバンはなぜ起こったのか? 私に何か変化はあったのか? そして当時から現在までの間に私は何を失い、何を持ち続けているのか? 『宇宙遊 一〈原初火球〉から始まる』は、それらを問いかけ、自らを省みる展覧会なのです」。
国立新美術館とサンローランが主催する同展では、ガラスや鏡を使った、新作や日本初公開の8作品のほか、LEDを使った大規模なキネティック・ライト・インスタレーション《未知との遭遇》なども並ぶ。
「コロナ禍のあと、アートも政治も保守化が進んでいます。世界中で『壁』がますます高くなっている。AIは発達し、人間社会は未来に向かっているかのように見えますが、迷子になっているかのようでもある。ですから今回の展覧会によって、宇宙から人間社会やアートの世界を眼差し、いまこそ未来を考える契機としたいのです」。