コロナ禍からの力強いカムバックを見せた昨年に続き、アジア最大級のアートフェア「アート・バーゼル香港」(以下、ABHK)が、再びフルスケールでの開催を迎えた。
3月26日に香港コンベンション&エキシビションセンター(HKCEC)で開幕した今年のABHKには、昨年から37パーセント増の242ギャラリーが参加。そのうち69のギャラリーが休止期間を経て復帰しているいっぽう、23のギャラリーが同フェアにデビューしている。
アート・バーゼルのCEOノア・ホロヴィッツは、開幕前の記者会見で次のように語っている。「昨年が世界的なパンデミックから3年を経て香港が待望の再開を果たしたとすれば、今年は真の『ルネッサンス』であり、当フェアはその規模と野心を本格的に再開し、街自体が世界中から訪れる観光客に門戸を開くことになる。世界的なパンデミックがもたらした大きな試練にもかかわらず、香港のアートシーンは近年、大きな飛躍を遂げている」。
香港には現在、アジア最大級のヴィジュアル・カルチャー博物館「M+」をはじめ、大館、香港故宮文化博物館、香港芸術館などの文化施設が軒を連ねている。また、今年1月にはハウザー&ワースがセントラル地区に新しいスペースをオープン。7月にはサザビーズがアドミラリティに新しいメゾンを開設し、9月には、クリスティーズがアジア太平洋本部をザハ・ハディド設計の超高層ビル「The Henderson」に移転するなど、コマーシャルセクターも深いコミットメントを見せている。
ホロヴィッツはこう続ける。「この自由自在な成長とダイナミズムは、アジアの中心における文化のハブとして、また世界貿易のアジア市場への極めて重要なゲートウェイとしての香港の比類なき地位を証明するものだ」。
世界の美術品取引における香港の重要性は、今月初めに発表されたアート・バーゼルとUBSの美術品市場レポートの最新版にも反映されている。2023年、中国本土と香港を含む中国は、英国を抜いて世界第2位の美術品市場となり、そのシェアは19パーセントに拡大。世界の市場全体が前年比4パーセント減と減速しているにもかかわらず、中国での売上はこの減少傾向に反して回復し、9パーセント増の122億ドルに達したと推定される。
同フェアのディレクターであるアンジェル・シヤン・ルーは、「2023年がアジアの再開の年であったとすれば、2024年は変化のなかで互いのつながりを取り戻す年である」としつつ、次のように宣言している。「アート・バーゼル香港は、新しい芸術の声の発見と出会い、ストーリーテリングと対話、異文化交流とコラボレーションのための真のグローバル・プラットフォームとして本格的に復活する」。
大規模なインスタレーション作品に特化した「エンカウンターズ」セクターは規模を拡大し、様々な地域のアーティストによる16の作品を紹介。例えば、韓国を代表するアーティスト、ヤン・ヘギュによるフィリピンの伝統的な織物に使われるモチーフであるビナコルと、1960年代のオプアートという視覚的コードを融合させた作品《Contingent Spheres》(2020/2022)や、1970 年代以降、米中間のピンポン外交をテーマにしたミン・ウォンの映像インスタレーション《Friendship First, Competition Second》(2024)、加賀美健が来場者のドローイングを描くパフォーマンス型の作品《The World of Ken Kagami》(2024)などが印象的だった。
初日の午後、ハウザー&ワースは350万ドルのマーク・ブラッドフォードの平面作品や110万ドルのエドワード・クラークの絵画、85万ドルのジョージ・コンドの絵画などの高額作品をはじめ、14点の作品をソールド。ヴィクトリア・ミロは、草間彌生の作品3点を合計1100万ドルで販売し、ホワイト・キューブは115万ユーロのアンゼルム・キーファーの平面作品や120万ドルのリン・マップ・ドレクスラーの絵画などを販売した。
タデウス・ロパックは、45万ユーロのマルタ・ユングヴィルトの絵画など6点の作品を販売。初日のみアリシア・クワデの個展を行ったペース・ギャラリーはクワデの作品3点を含め、アダム・ペンドルトンやカイリー・マニング、メイシャ・モハメディ、ミカ・タジマなど10点の作品を取引した。
日本のギャラリーのなかでは、WAITINGROOMが昨年9月に開催した高田冬彦の個展で発表された映像作品《Cut Suits》(2023)と《The Butterfly Dream》(2022)を再構成し展示。初日には、《Cut Suits》を香港のコレクターに販売し、同作のためのスケッチも2エディション販売した。オオタファインアーツでは、草間彌生の大型絵画のほか、タン・ディシンやマリア・ファーラ、チェン・ウェイなどの作品を出品。草間作品以外の価格は主に20万ドル以下であり、初日に約半数の作品が売れたという。
タカ・イシイギャラリーのブースでは、荒木経惟による写真36点が壁一面を埋め尽くす。初日には、ジャデ・ファドジュティミの絵画と勅使河原蒼風の彫刻が売約済みだったという。ギャラリーのブース内でテーマ性のある展示を行う「キャビネット」セクターに参加しているTARO NASUは、池田亮司の映像作品6点を展示。そのメインブースでは、サイモン・フジワラ やライアン・ガンダー、ミカ・タジマなどの作品を紹介している。
フェア初日、メガギャラリーは好調な作品の売れ行きを維持したいっぽう、中小ギャラリーからはセールスが昨年より低調だという声がしばしば聞こえた。
昨年後半から、中国の景気回復の鈍化や不動産セクターの低迷により、中国とその周辺の国や地域でのアートフェアの売れ行きが大幅に鈍化している。その結果、今年のABHKの参加ギャラリーの多くは、比較的販売しやすいカラフルな絵画を多く展示しており、ヴィデオ、大規模な彫刻、コンセプチュアル・アートなどチャレンジングな作品は大幅に減少した感があった。
多くのギャラリーからは、コレクターが作品を購入する際に明らかに慎重になっているというフィードバックがあった。経験も予算も豊富なベテランコレクターは、エマージングアーティストの作品を依然として積極的に収集するいっぽう、経験の浅い若いコレクターは、どのようなアーティストからコレクションを始めたらいいのかわからないことが多いかもしれない。値段の安い若手アーティストの作品を複数購入するよりも、そうしたコレクターは、一定の知名度があり、作品の価値が保てるようなアーティストの作品を少ない数購入することを好む傾向がある。
また、今年のフェアで避けられなかったもうひとつのトピックは、今月初めに香港立法会で可決された新たな治安法令「国家安全維持条例」だろう。「香港特別行政区基本法」第23条に基づくこの条例は、外国勢力による干渉や、反乱などを犯罪行為とし、最高で終身刑を科すという。同条例が可決されたことで、香港における表現の自由がさらに狭められる懸念が高まっている。
香港のギャラリーやアート関係者に、この第23条が香港のアートシーンに与える影響について尋ねたところ、ほとんどが悲観的ではなかった。この条例によってアーティストや美術機関の自己検閲が強まることを懸念する声もあるが、多くは、香港にはまだ中国本土にはない表現の自由があるとし、今年のABHKでは性的マイノリティを取り上げた作品や、暗黙の政治的メッセージを含む作品が数多く見られている。
匿名を希望する香港のあるアートファウンデーションのディレクターはこう語っている。「もし“山”を変えることができなかったら、回り道をすればいいのだ」。