展覧会期間を終えて始まるアートフェア
──無人島プロダクションはどのような経緯で参加が決まったのですか。
藤城 兼平さんと遠藤さんから、無人島プロダクションの作家の作品を展示できないかとお声がけいただいたのがきっかけです。普段私はアートフェアの参加にあまり意欲的ではないんですね。アートフェア特有の白い仮設壁でつくられた“コ”の字のブースを見ると、ちょっと思考停止になってしまうというか、フェア自体のコンセプトや予想される効果などよほどの理由がないと積極的に出ないのですが、CURATION⇄FAIR Tokyoは、展覧会とアートフェアが連続している構成も独自ですし、何より会場がいわゆる仮設空間でないのが魅力的でした。今回はたまたま和室を使うことになったのですが、この空間で何をするかを考えるとわくわくします。ギャラリーの展覧会とは違うコンセプトで展示ができるのではないかと思ったので、参加を決めました。

美沙子 MISAKO & ROSENと無人島プロダクションさんは、この2部屋の和室のあいだの襖を外し、つなげた空間でそれぞれの作品を展示します。あえてつながったような感じで展示を見せることになるのも面白いのではないかと考えています。
藤城 かつて人が住んでいた部屋だということにも関わってきますが、現在存在している自分たちが生きていない時間、過去や未来という自分たちの不在への旅みたいなものをこの空間で表現できないか、と思いついて、作家たちと話しながら出品作品を考えています。とはいえ、なんだか賑やかな構成にはなる気がしています(笑)。

遠藤 白い壁で管理、分析、切断が可能なキュレーションではなく、場の力を使ったキュレーションのようなものを考えたので、それを感じていただくことで、コレクターの方の自宅のコレクションの展示も変わってきたらいいなと思いますね。設定や基準がしっかりしているコレクションもいいですが、「この美意識はどういうこと?」と感じられるようなコレクションって面白いですよね。感性が開いていて、基準が複数同時に走っていて、にもかかわらずそこに説得力があるような。そういうコレクションは見ていて楽しいですよね。僕のキュレーションが、コレクション形成に原理的につながるのであれば嬉しいですね。
ジェフリー・ローゼン(以下、ジェフリー) CURATION⇄FAIR Tokyoの面白いところは、ギャラリーがただ作品を展示販売するのではなく、展覧会の文脈をアートフェアに落とし込むことができる点だと思います。しかし、それは簡単なことではありません。なぜなら、一般的に展覧会を訪れる来場者は、買うことを考えてくるわけではなく、純粋に展示を観にこようとするからです。だから、我々が見せたい展覧会を丁寧に企画すると、商業的には失敗することも多い。しかしこのイベントでは、第一部の展覧会で作品展示を空間とあわせて楽しむことができ、それから数日間を挟んでアートフェアが始まるので、じっくり作品を味わってから、改めて購入できる場として再び会場を訪れることができるわけです。これは国際的に見ても非常にユニークな企画ですし、展示にこだわることと商業的に成功することを両立させられるアートフェアだと感じています。


──昨年の売り上げとしてはいかがでしたか。
ジェフリー ええ、悪くはなかったです(笑)。海外からの来場者にも購入いただけましたし、インバウンドも増えている状況ですから、国内外を問わずコレクターに向けて力のあるプレゼンテーションを行うことで、市場は広げていけると感じています。
小西 僕もあまり最近はアートフェアに参加していませんでしたが、このアートフェアは、お客さんが丁寧に展示を見てくださるし、とにかく3日間出展して非常に居心地も良く楽しかったです。その場でたくさん売れたかというと、うちはそうでもありませんでしたが、お客さんと近い距離でコミュニケーションがとれるので、その後も続くようなお付き合いが生まれました。あとは、ほかの出展者の方との距離も近いので、隔たりなく一緒にアートフェアをつくる感覚がありましたね。隣のブースの作品まで説明しましたよ(笑)。


山本 お客さんにとっては、お店同士が仲良くしていると安心できると思うんですよ。コミュニケーションによる信頼関係は非常に大事なものです。歴史を遡ると、ホワイトキューブというものは1929年にニューヨーク近代美術館(MoMA)から始まったもので、ヨーロッパにはなかったんですね。アメリカの資本主義がさらに周辺を巻き込んで拡大していくと、周辺にホワイトキューブがつくられていきました。つまり、資本主義の拡大とホワイトキューブの増加はすごく連動していて、いまは資本主義がこれ以上拡大できないところまで来てしまったので、ホワイトキューブからの離脱が始まっています。
ホワイトキューブを増やすことよりも、場をつくり、その場で生まれるコミュニケーションに目を向けるようになってきた。人間がそれぞれコミュニケーションをとり、価値や思想、感情を共有することの普遍性に立ち戻るようになったのではないかな。それが資本主義の次のテーマなのではないかと思っていて、我々が行うCURATION⇄FAIR Tokyoは、急進的な中心性とは逆に、コミュニケーションの広がりを生み出すことで、個性豊かで多様なアートを介して資本主義の次を実現できるんではないかなと今日皆さんの話を伺いながら思いました。ここにこそ未来があるという気持ちで、今年も臨みたいと思います。
──非常に美しくまとめていただきました!
山本 僕は落語が好きだからね、なんとなく落ちを用意したくなってしまうんですよ(笑)。
