• HOME
  • MAGAZINE
  • INSIGHT
  • 多田美波研究所所長・岩本八千代インタビュー。職人たちとともに…

多田美波研究所所長・岩本八千代インタビュー。職人たちとともに駆け抜けた、多田美波の知られざる姿に迫る【2/2ページ】

周りに「やってみたい」と思わせる力

──多田さんの創作活動のなかでとくに印象的なのは、デザインをするだけにとどまらず、ご自身で現場や工場にも足を運ぶことですよね。

岩本 多田が「こんなものをつくりたい」と考えたとき、まずは模型をつくって、その模型を風呂敷に包んで工場へ行くんです。「こういうものをガラスでつくれますか。わたしは素人で、詳しいことがわからないので教えてください」って、本当に素直に職人さんにぶつかっていったそうです。そうすると職人さんたちも「やるだけやってみよう」と言いながら、そのうち夢中になって取り組んでくださって。結局、工場の出入口より大きな作品ができてしまい、壁を外して運び出したなんていう話も聞きました。

──今回の展覧会も、たくさんの技術者の方々が知恵や労力を注いでつくり上げてくれました。岩本さんご自身も、現場のみなさんとのコミュニケーションをとても大切にされているのが印象的でした。

岩本 多田自身も多田研究所も「みんなでチームになってひとつのものをつくり上げる」というスタンスを大事にしています。わたしたちだけでは何もできないとわかっていますから。多田は口説くのがうまいのかもしれないですね。「八千代さん、いまここに吹いている風をかたちにして見てみたくない?」とわたしに言ったんです。「どんなかたちになるか見たいでしょう?」と。

多田美波《地球の光 北緯34°39′東経135°7′15″―空中》(1970)。「第2回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」(1970)での展示の様子撮影:作本邦治

 そのアイデアを実際に作品にしたのが、「第2回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」(1970)に出した《地球の光 北緯34°39′東経135°7′15″―空中》(1970)です。宿泊している旅館で、ガラス繊維を何百本も切ったものを紐に吊り下げていくんです。ポールを2本立てて、その紐を渡すと、風が吹いたときにそのガラス繊維が揺れて、下からの光でそのときどきの風がかたちになるんです。言うのは簡単だけど、これもつくるのは本当に大変なんです。でも多田の言葉で聞くと「やってみたい」と思わせられる魅力がありました。

──光や水、風といった自然現象を様々なスケールで造形に落とし込んでいて、その幅広さに驚かされます。作品のタイトルも自然現象から取られたものが多いですね。

岩本 多田はとにかく自然が大好きな人でした。夕日や雲のかたちが綺麗だったりすると、下の階で作業しているわたしに電話をかけてきて「すぐ2階に来なさい」と言うんです。作業を中断して2階に行ってみると「あの雲見て。すごく綺麗でしょう。紫がかってピンク色で、いいよね」と。虹とか雲とか、自然の風景が本当に好きな人でしたね。

日々の研究と技術者の汗

──手がけた建物の改装や解体があるたびに、作品を残すかどうか判断を迫られるかと思います。残すことの難しさや現状の課題について、どのように感じていますか?

岩本 建築と運命をともにした作品もたくさんあります。作品は何千ものパーツからできていて、壊れたパーツがあれば型からつくり直す必要があります。しかし廃業してしまう工場も多く、型をつくることができないこともしばしば。いくら技術が素晴らしくても、それを必要とする建築や現場自体がなくなっていけば、技術は受け継がれていかないのです。昔の職人さんたちがつくったものをどのように活かしていくのかは難しい問題ですね。

裏磐梯ホテルに設置されている多田美波のシャンデリア 撮影:野秋達也

 建築の中の作品を移設するのは、はじめから予定されていたものではないので、裏磐梯高原ホテルを例に挙げても、移設先の建築の時代感から構造、空間のデザインと作品を生かそうという強い気持ちがないと出来ません。

──作品の制作に関わった職人の方々や、修復・保存に力を注いでいる方々が全国各地にいて、調査のたびにそうしたみなさんの思いにふれてきました。多くの人が楽しみにされている今回の回顧展ですが、初期の絵画作品など、新たな多田美波像に驚かれる鑑賞者も多いのではないでしょうか。

岩本 多田の絵画は、じつはわたしもほとんど見たことがなかったんです。多田は「見せられるものじゃないわよ」と、アトリエの物置の隅にしまい込んでいました。でも、これだけ大きな展覧会をしていただくのだから、残っている作品は全部出してしまおうと。多田には怒られるかもしれませんが(笑)、学芸員のみなさんも作品を「すばらしい」と言ってくださり、出品することになりました。

──多田さんの絵画作品には、その後の「光造形」につながる表現のエッセンスが集約されていると感じます。複雑に織り交ぜられた色合いや繊細な光の捉え方など、「光」に対する美学が平面の中に凝縮されていますね。

岩本 なぜ絵画からブロンズやアルミを用いた作品へ移行したのか聞いたとき、多田はこう言っていました。「学校で教えてもらうテクニックって、良いようで悪いのよね。心のなかに表したいものがあっても、手先が綺麗にまとめてしまうから。それが嫌でたまらなかった」と。技術に頼らず、自分の心に素直につくる方法を考えた結果、アルミの板を叩くことにたどり着いたようです。

多田美波《周波数373055MC》(1963)アルミニウム 300×50×200cm 多田美波研究所 撮影:野堀成美

 戦後、アクリルという素材に出会うと、多田は熱で自由に変形できるアクリルに夢中になりました。アクリルを扱う会社を訪ねては質問を繰り返し、研究を重ね続けました。

 ときどき「多田美波研究所は、なぜ『研究所』なんですか」と聞かれますが、ほかにふさわしい名前はないと思います。スタッフみんなが自分たちの手で削って磨いて、毎日が研究でした。ときに「多田の彫刻は発注芸術だ」と批判されることもありましたが、本人は「言わせておきなさい」とまったく気にしていませんでした。

──最後に岩本さんから見た、今回の展覧会の見どころを教えてください。

岩本 展示される作品のほとんどは、大勢の方に力をお借りし、教えていただいたからこそできあがったものです。だから、多田美波の展覧会というよりも「わたしたちの展覧会」という感覚があります。作品として目に見えるかたちを決めたのは多田美波ですが、その裏には多くの人の技術や努力があるんです。

 ひとりの女性作家が油彩からスタートし、このように多くの素材で彫刻を制作し、そして建築の世界にも挑んでいく。戦後日本の発展とときを同じくして、半世紀後のいまも輝き続ける作品を制作した多田美波を知っていただけたら嬉しいです。そしてその後ろに、多くの技術者の熱い想いがあったことも知ってほしいです。

 かつて、制作会社の方からこう言われました。「多田先生の仕事は、引き受けたときには難しくて苦労は計り知れないけれど、完成したときの工場の技術は大きく成長している。だから次は何をやるんですか?」と次の仕事が楽しみなのです」と。

 そして、これから技術を学ぼうとしている方や、若い世代の方にも、ステンレスやガラス、アクリルの加工や表現に注目しながら、多田の作品世界をご覧いただけると嬉しいです。

編集部

Exhibition Ranking