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第17回芸術評論募集【佳作】吉見太一「荒川修作/マドリン・ギンズという人類学的徴候──デュシャン的なパラダイムと訣別するため」【2/5ページ】

1. デュシャンとウィトゲンシュタイン

 アーサー・C・ダントーは、『芸術の終焉のあと』(1997)において、アートの歴史におけるデュシャンの特異性を、「趣味」を論じたカントの『判断力批判』から続く伝統的な西洋美学からの徹底した離反に見ている。

デュシャンの作品の存在論的成功、それは趣味を考慮しない、あるいは考慮を中断することに成功した芸術からなっているものであるが、それが示しているのは、実際のところ、審美的なものは芸術の本質的・定義的特性ではないということである。私の見解では、このことは単にモダニズムの歴史をおわらせただけでなく、芸術の本質的な質を偶発的な質から区別するという試み、芸術をいわば錬金術的方法で再現やイリュージョンなどの不純物から「純化」するという試みによってモダニズムを特徴づけていた歴史的計画の全体もおわらせたのである。(*4)

 ここでダントーの念頭にあるのは、モダニズム美術批評の代表的な存在であるクレメント・グリーンバーグに対するアンチテーゼとしてのデュシャンである。周知の通り、グリーンバーグは「モダニズムの絵画」(1960)などの評論をはじめとして、各芸術ジャンルの歴史をその「純粋性」を獲得するための「自己−批判の仕事」として捉えた。グリーンバーグの論理において、例えば絵画というメディウムでは「平面性」や「二次元性」という、他ジャンルと分かち持っていない唯一の条件が「自己−批判」の対象とされ、そこに含まれない不純物は徹底的に取り除かれなければならない。「別の芸術のメディウムから借用されているとおぼしき、または別の芸術のメディウムが借用しているとおぼしきどんな効果でも、各々の芸術の効果からことごとく除去することが自己-批判の仕事となった」(*5)。

 デュシャンが抵抗したものが、このような「純化」や「自己−批判」としての芸術観であった。ダントーが「グリーンバーグは、疑いなく、今日のもっとも重要なカント的美術評論家であるが、彼は、デュシャンをとりあげることも、ひとりの芸術家としてみなすこともなかった」(*6)というように、グリーンバーグがデュシャンの仕事を徹底して無視していたのもそれと決して無縁ではない。任意のものをアートとして提示したデュシャン以後、芸術の存在論が趣味の議論やメディウムの形態論、自己−批判の作業から切り離されることで、各芸術分野の進歩史観を前提に行われていた探究のナラティヴは終わりを迎える。「なんでも芸術作品になりうるということがあきらかになったときのみ、芸術について哲学的に考えることができたのである」とダントーがいうように、デュシャン以後の芸術においては、作品の提示そのものが、芸術それ自体の存在論を哲学的に問う営為と同義となる。

 以上のような『芸術の終焉のあと』におけるダントーのデュシャンへの評価は、ジョセフ・コスースに負うところが多い。コンセプチュアル・アートの代表的な存在であるコスースは、「哲学以後の芸術」(1969)でデュシャン以後の芸術の状況について以下のように論じている。

デュシャン以後の芸術家ひとりひとりの「価値」は、芸術の性質をどれだけ問題にしたかによって測ることができる。言い換えれば、「芸術の構想に何を付け加えたか」、あるいは彼らが始める前には存在していなかった〔彼らによって存在しえている〕ものは何か、ということである。芸術家は、芸術の性質に関する新しい命題を提示することによって、芸術の性質を問いに付す。(*7)

 ここでコスースが意識しているのは、芸術実践をある種の分析哲学的な命題と同等なものとして提示することである。「芸術とは芸術の定義なのだ」という有名な一節にあるように、それは芸術作品を、自らの意味上の定義をトートロジカルに述べる「分析的命題」として捉えることにほかならない。こうした芸術の機能への問いには、「言語における語の使用こそがその語の意味である」という後期ウィトゲンシュタインにおける「使用」の問題が反映されている。例えば、モダニズムの逆説としてのミニマル・アートにおいて示されていたのは、端的に言えばまさにデュシャン=ウィトゲンシュタイン的な「使用」の問題だった(*8)。またコスースは「デュシャンは、モダニズムが尊敬を集めているあいだずっと、徹底的なオルタナティヴとしてありつづけました。それはほとんどまるで、芸術が成熟点に到達して初めて、デュシャンが役に立つとでもいうかのようです」(*9)と指摘し、ミニマル・アートのみならず、ポップ・アートやコンセプチュアル・アートなど、60年代に爆発的に噴出した反−モダニズム的な芸術の傾向一般を、遅れて現れたデュシャンの遺産として捉えている。

 コスースは「オブジェクトは芸術の条件と概念的に無関係である」とさえ述べる。根拠なき作品の使用がその根拠を事後的につくり出すこうした状況下において、対象の有無はもはや問題とされておらず、そこでは概念的な「構想」の提示でさえもある種の芸術的な営為として考えられうる。ここには、あらかじめ定義された芸術ジャンルの先験的なカテゴリーもなければ、それら固有の純化を追求する進歩史観もない。つまりデュシャン以後、芸術という枠組みは、アートワールドという規則(=文脈)と作品の使用(=展示)によって形成される、ウィトゲンシュタイン的な「言語ゲーム」の様相を呈することになるのである。ここから、「作品の使用」(デュシャン)と「言語の使用」(ウィトゲンシュタイン)の類縁性が結論づけられる。ソール・クリプキの主張を踏まえれば、デュシャン以後の芸術実践とは、ある作品によって芸術の規則が事後的に定義される、作品それ自体の根拠なき「使用」=「暗闇の中における正当化されない跳躍」(*10)であるということができる。こうしたデュシャン以後の芸術の状況を本論では以下、「デュシャン=ウィトゲンシュタイン的な「使用」のパラダイム」と呼びたい。

 ダントーやコスースをはじめとして、デュシャンの方法はウィトゲンシュタインの哲学と結びつけて論じられることがある。ではその類縁性は具体的にどこにあるのか。デュシャンの死後に発見された「アンフラマンス(極薄)」という未発表のテクストは、デュシャンの芸術哲学の根幹を考えるうえで、非常に重要なテクストとなっている。アンフラマンス(inframince)とは、デュシャンによる造語であり、「下部、下方」を意味する接頭辞(infra-)と、「薄い」を意味する形容詞(mince)を合成したものである。訳者の岩佐鉄男によれば、これは「薄いという知覚さえ失われる極限での薄さ」という意味合いを含意しうる。デュシャンが挙げている例としては、ジョルジュ・スーラの絵画がある。スーラの点描の個々のパターンは、物理的な次元においてはたんに無数の絵具のしみが集合したものにすぎない。しかし、それを知覚するある任意の瞬間において、絵具のしみの集合が絵画的な形象へと「移行」する経験が現れる(*11)。アンフラマンスとは、複数の潜在的な可能なるものが瞬時にある現実性へと位相を変える「移行(passage)」の経験を意味する。

 東野芳明と多木浩二が対談「アンフラマンス読解」で語っているように、このような「移行」の経験は、《大ガラス》を制作していた1912年から1915年あたりのメモ書きを集成した《グリーン・ボックス》の以下の記述と大きく関係している。

a/b
aが露出であり
bが可能性すべてであるならば
a/bの関係はそっくりすべて、一つの数c[つまり]a/b=cのなかにあるのではなく、aとbを分ける記号(a/b)のなかにある。(*12)

 これについて東野は「a/bとなっていて、それを分けている線、これがアンフラマンスのような気がするんですよ」(*13)と指摘している。「a/b」の「/(スラッシュ)」は、諸可能性の領野と露出されているものとを、極めて薄い差異のうちで切り分けている。つまり「/」=アンフラマンスとは、b(潜勢態)からa(現勢態)へと「最小の差異」を介して移行する経験──あるいは再びaからbへ移行していく往還的な経験──を意味する。デュシャンが「時間の中で、ひとつの同じ物体は、一秒たてば同一物ではない」というように、これは時間的な差異を含んでいるほか、嗅覚・聴覚などの多感覚的な差異をも包含している。つまり「a/b」としてのアンフラマンス的な移行の経験は、無数の時間的・多感覚的なモアレ状の差異、あるいは襞のような意味上のブレの束として思考される。北山研二が「アンフラマンスは、(中略)既存の知覚習慣や概念、既存の対象認識法を少しずらすだけで、可能世界や別な世界が出現することを提示する」(*14)というように、アンフラマンスは、既存の事物の同一性に微細な差異を与えることでほかなる可能世界や次元への移行を生み出すという点で、レディメイドにおける「作品の使用」に大きく関わっている(*15)。

 以上のようなデュシャン的な「使用」の論理は、ウィトゲンシュタインの思想においては「アスペクト転換」の問題として考えることができる。ウィトゲンシュタインは『哲学探究』の第二部において、ある同一のものが別様に見える現象について議論している。有名な「ウサギ−アヒル図」などが、その主だった例のひとつとして挙げられる。

 こうしたアスペクトの転換はいかにして起きるのだろうか。ウィトゲンシュタインが、アスペクト転換は「勝手に作った文字」においてさえ発生し、それは「言葉の意味」と類縁性を成していると記述している点に注目したい。「この文字を巡って自分が創るそれぞれのフィクションに応じて、私はそれを、様々なアスペクト(見方)で見ることができる。そしてここに は、『ある言葉の意味を体験すること』との強い類縁関係が存在する」(*16)。例えば、ある三角形の図を見て、それを「穴として、物体として、幾何学の図として、底辺を下に立っているものとして、頂点で吊るされているものとして、山として、楔として、矢あるいは矢印として」(*17)捉えうるように、ある任意の対象Aは、それが含まれる言語ゲームの性質に応じて複数のアスペクトを発生させうる。ここで重要なのが、アスペクトの転換は、その対象の「使用」の文脈に応じた変化であるという点で、言語の意味と同じ機能を果たしていることである。アスペクト転換の問題とは、言葉の使用における意味の問題なのだ。つまりアスペクトの転換が、言語と同様に言語ゲームの文脈における「使用」に基づいているのであれば、対象の見え方の「唯一本当の正規のケースが存在するわけではない」(*18)。意味の規則は使用が事後につくり出すものにほかならないのであれば、ある対象Aはその「使用」のモーメントに応じて、まったく別様の「アスペクト=意味」を獲得する可能性を持っているといわなければならない。

 このことはアスペクト転換の議論を、デュシャンにおけるアンフラマンスの経験として書き直すことを促す。スーラの点描の例がまさしくアスペクト(見え方)の変化の問題であったように、「アスペクトの転換」の議論において枢要な点は、同一対象Aが「使用」に応じた複数のモアレ状の差異のなかにあるということだ。つまりある対象Aは、その使用の文脈において、シミ(B)/文字(C)/絵(D)/etc. というように、複数の潜在的なアスペクトを相互排他的に包摂しているのである。アンフラマンス同様、アスペクトの転換もまた、同一対象における複数の「/」と、それらのあいだの使用に応じた「移行」を問題化するものにほかならないのだ。

*4──アーサー・C・ダントー『芸術の終焉のあと 現代芸術と歴史の境界』山田忠彰監訳、三元社、2017年、186頁。
*5──クレメント・グリーンバーグ「モダニズムの絵画」、『グリーンバーグ批評選集』藤枝晃雄編訳、勁草書房、2005年、64頁。
*6──ダントー『芸術の終焉のあと』、143頁。
*7──ジョセフ・コスース「哲学以後の芸術」、ガブリエレ・グルチョ編『哲学以後の芸術とその後──ジョゼフ・コスース著作集成 1966―1990』鍵谷怜訳、水声社、2025年、75–76頁。
*8──「『使用』という考えは、芸術や芸術の「言語」と関連している。近年、芸術の文脈内では箱型や立方体型が多用されている。(中略)とりわけ、[ドナルド・ジャッド]の作品に見られるように、芸術の文脈内に置かれたときにのみ、そのオブジェクトは芸術である、という前述の主張を、箱型や立方体型の使用はよく示している」(同上、82頁)。
*9──コスース「観念としての観念としての芸術」、同上、127頁。
*10──ソール・A・クリプキ『ウィトゲンシュタインのパラドクス』黒崎宏訳、ちくま学芸文庫、2022年、44頁。
*11──マルセル・デュシャン「極薄(アンフラマンス)」岩佐鉄男訳、『ユリイカ 特集:マルセル・デュシャン』青土社、1983年、58頁。
*12──ミシェル・サヌイエ編『マルセル・デュシャン全著作』北山研二訳、未知谷、1995年、61頁。
*13──東野芳明/多木浩二「対話 アンフラマンス読解──世界認識の新展開」、『ユリイカ 特集:マルセル・デュシャン』、111頁。
*14──北山研二『マルセル・デュシャン──新展開するアート』未知谷、2021年、204頁。
*15──「移行」の経験としてのアンフラマンスは、デュシャンにおいて非常に重要な「次元移動」の問題にも関わっている。デュシャンが、クールベ以来の近代絵画を「網膜アート」として批判し、20世紀全体の視覚中心主義を「今世紀全体がまったく網膜的なものとなってしまっている」と嘆いたことはよく知られている(マルセル・デュシャン/ピエール・カバンヌ『デュシャンは語る』岩佐鉄男・小林康夫訳、ちくま学芸文庫、1999年、82頁)。ここには、デュシャンなりのモダニズムの視覚偏重主義批判が見てとれる。デュシャンは、代表作《大ガラス》において三次元の二次元への投影という伝統的な絵画の遠近法を逆手に取るかたちで、それ自体眼で見ることのできない四次元を三次元への投影として表出させようとした。
*16──ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『哲学探究』鬼界彰夫訳、講談社、2020年、436頁。ウィトゲンシュタインが一時期、建築に関わっていたことはよく知られており、その詳細はバーナード・レイトナー『ウィトゲンシュタインの建築』(磯崎新訳、青土社、1996年)に詳しい。ミリ単位の精度で設計されたというウィトゲンシュタインによるウィーンの住居は、初期の著作『論理哲学論考』にも似た精緻さから、彼の姉ヘルミーネの回想では「住居のかたちをした論理」と言われ、「それは私のようないつか死ぬ人間のためではなく、実際、神のための住いのようでした」と語られている。彼はその後も建築についてのメモを残しており、後期にあたる1942年には「建築は身ぶりである。人間の身体の合目的的な運動が、すべて身ぶりというわけではない。おなじく、合目的的な建築がすべて、建築というわけでもない」と書くなど、その寄せ付けないような家の精緻さとは対照的に、建築、身体、言語ゲームを結びつけるような記述も見られ(ウィトゲンシュタイン『反哲学的断章』丘沢静也訳、青土社、1988年、116頁)、荒川/ギンズの思想との関係性が示唆される。
*17──同上、416–417頁。
*18──同上、416頁。

編集部