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第17回芸術評論募集【次席】久保田荻須智広「返済不能な作品たち──その死の設計へ向けて」

『美術手帖』創刊77周年を記念して開催された「第17回芸術評論募集」。椹木野衣、清水穣、富井玲子、星野太の四氏による選考の結果、一席に寺町英明、次席に久保田荻須智広、渡邉武徳、佳作に石川嵩紘、大友渉、吉見太一が選出された。ここでは、次席に選ばれた久保田荻須智広「返済不能な作品たち──その死の設計へ向けて」をお届けする。※7月17日24時まですべての方に全文お読みいただけます

[図1]中西夏之《無題》紙(スケッチブック)に水彩 23.6×32.7cm 東京藝術大学未来創造継承センター 撮影:筆者

快適な一室にて:寄贈資料と収蔵庫

 炎天下のうだる暑さを尻目に、温湿度管理が徹底された暗い小部屋の中で、二灯のライトが一枚の紙を照らしている。複写台に載せられたそれは、スケッチブックの一頁に水彩で描かれたドローイングであった[図1]。染みのあるクリーム色の地に、濃淡をもつ紫が不定形の円環をつくり、右下には「5/20 2006」と記されている。私は通し番号のラベルを画面の下に置き、シャッターを切る。画像を確認し、別の頁に入れ替え、またシャッターを切る。その反復を、何時間も続ける──これは芸術作品の相続のための行為である。

[図1]中西夏之《無題》紙(スケッチブック)に水彩 23.6×32.7cm 東京藝術大学未来創造継承センター 撮影:筆者

 2025年秋、東京藝術大学の未来創造継承センター(*1)に、中西夏之(1935〜2016)の旧蔵資料が寄贈された(*2)。中西は戦後日本を代表する現代美術家のひとりであり、同時に東京藝術大学とも深く関わった人物でもある。油画専攻を卒業後、同大学の絵画科油画専攻で 1996年 10 月から 2003 年まで教授として後進を指導した。こうした経緯もあったためか、遺族は制作関連資料の受け入れ先のひとつとして東京藝術大学を選んだ(*3)。筆者は寄贈準備の一環として、旧蔵資料のうち8000枚以上に及ぶドローイング類の一部を複写し、デジタル化を進めていた[図2]。数は途方もない。だが、この作業がすぐに破綻しなかったのは、労力と手続きがあらかじめ整えられていたからだ。作業には給与が出て、複数人で分担でき、目録作成も担当者が進めていた。なにより、資料そのものが驚くほど整然と保たれていた。スケッチブック本体だけでなく、各頁に日付が記され、参照可能性があらかじめ織り込まれている。その継承の設計が、私の気を軽くしていた。

[図2]ドローイング複写作業の様子(2025) 撮影:筆者

 これらの資料はなぜ、東京藝術大学大学美術館の収蔵ではなく、未来創造継承センターへの寄贈というかたちをとったのか。少なくとも遺族が望んだのは、作品として厳密に管理されることよりも、ある程度学生が身近に閲覧できる学習の資料としても機能することだった。そもそも東京藝術大学では、大学美術館が設立される以前から、美術資料が図書館的な「文庫」として保たれ、学生の制作や研究のために比較的自由に参照されてきた。資料によっては壁面に画鋲で留められ、日常的に使われていた例もあったという。しかし、学内の資料運用が閲覧中心から保存中心へと傾くにつれ、資料は一般的な美術館の収蔵管理の手続きへと組み込まれていった。保存環境が整備され、劣化の少ない状態で守られる一方で、学生が制作の過程で気軽に手に取ることは難しくなる。現在それらは、守られているが使われにくい資料でもある。未来創造継承センターが中西のドローイング類を「中西夏之アーカイヴ」として公開しようとしているのは、こうして失われた距離を、教育と制作の現場へふたたび引き戻す試みだと言える。そして中西自身もまた、膨大な自作に関する資料を常に確認し、修正加筆を繰り返し、更新してまとめていた(*4)。本人による整理、遺族の意思決定、受け入れ側の労働、そしてその後の研究者による運用──そうした複数の行為が連なるとき、作品を支える「ケアのネットワーク」(*5)が立ち上がる。中西の旧蔵資料は、その網目のなかで引き受けられつつある。

 この行いは素晴らしい。実際、それは自明なほど正しく、善い行いである。だが、作家として制作を続ける者であれば、ここでひとつの問いを立てざるをえない。自らの不在ののち、作品が同様の労力と費用をかけて引き受けられることは、どの程度保証されているのだろうか。中西は戦後日本美術史において高く評価されてきた。しかし、同等の評価を得て、マーケットでの需要も担保できる作家は一握りにすぎない。作品は資産として残るだけではない。残り続けることそれ自体が、誰かに管理と責任を要求し、負債として振る舞いはじめる。

 本稿で用いる「負債」とは、たんなる会計上の概念ではない。デヴィッド・グレーバーが論じたように、負債とは返済によって完結する一回限りの関係ではなく、返礼の義務を通じて関係を持続させ、引き受ける者に継続的な応答を要求し続ける力学である(*6)。作品が所有され、どこかに収蔵されるとき、それは贈与や取引として一度完了するように見える。だが実際には、そこから維持管理・判断・責任という終わりのない応答が始まる。本稿が批判するのは、こうした債務を善意や「残したい」という意志によって清算可能だとみなす返済倫理であり、その倫理が分業を通じて作家を免責し、債務を制度・遺族・現場へ外部化してきた構造である。筆者は本稿において、作品の制作実践に内在するこの負債性をどう自覚しうるのか、そしてその自覚を「作品の死の設計」(*7)へといかに接続できるのかを論じていく。

*1──未来創造継承センターは東京藝術大学における全学組織として 2022 年に設立された。このセンターでは、芸術作品そのものだけではなく、作品の創造過程における周辺の情報や物品、たとえばドローイングやインタビューなども保存をしていき、「クリエイティブ・アーカイヴ」として継承を目指す目的で設置された。
*2──中西夏之旧蔵資料の受贈概要については下記リンクを参照。https://future.geidai.ac.jp/archive_nakanishinatsuyuki20251023/(最終閲覧日:2026 年1月10日)
*3──永松左知「調査の背景およびアウトライン」『中西夏之資料の調査研究 2024』茨城県近代美術館、2025年3月、4-5頁 PDF版:https://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/viewer/info.html?id=483&g=251(最終閲覧日:2026年1 月10 日)
*4──永松左知「資料調査から判明したいくつかのこと」前掲報告書、29-30頁。
*5──本稿で用いる「ケアのネットワーク」とは、現代美術でのとりわけインスタレーションやパフォーマンス、ネットアートといったタイムベースト・メディア作品の保存や再展示において、作家、学芸員、保存修復家、技術者、場合によっては館外の協力者やコミュニティなど、複数の主体が関与しながら、作品の成立条件や判断、記録を分散的に支える関係構造を指す概念である。下記の資料を参照。Dekker A(2014)Assembling traces, or the conservation of net art. In: NECSUS, Spring 2014. http://www.necsus-ejms.org/assembling-traces-conservation-net-art(最終閲覧日:2026年1月11日)/ Pip Laurenson, "Authenticity, Change and Loss in the Conservation of Time-Based Media Installations," Tate Papers, no.6, 2006.
*6──David Graeber, Debt: The First 5,000 Years, Melville House, 2011(邦訳:デヴィッド・グレーバー『負債論──貨幣と暴力の5000年』酒井隆史監訳、以文社、2016年)。本稿では、グレーバーの議論のうち、負債が返済によって関係を終了させるのではなく、むしろ返礼の義務を通じて関係を持続させるという側面に着目している。グレーバー自身は芸術作品の保存について論じていないが、作品が所有・収蔵された後も維持管理や判断を要求し続けるという本稿の問題意識は、この負債の力学と構造的に類似している。
*7──「作品の死の設計」という概念については後の章で詳述する。現代美術の保存修復分野では、作品が「寿命の終わり(end of life)」に達する時点をめぐる議論があるが、本稿はそれを制作段階の問題として捉え直すことを試みる。

食堂にて:残せなかった作品

 前章にて、引き継ぎがなされていた中西夏之の作品資料は、その継承が比較的うまくいった事例として評価することができるだろう。一方で、そういった作品の相続がなされなかった事例というのも数多く存在する。たとえば、かつて東京大学本郷キャンパスの中央食堂に設置されていた、宇佐美圭司の作品《きずな》[図3]は、残すことができなかった作品として知られている。1977年の中央食堂の竣工に向けて東大生協の依頼により制作されたその作品は、食堂を利用する学生や教職員の多くにとって、鑑賞する作品というより、視界の端にいつも存在する風景の一部だったはずである。作品はキャプションがないまま設置され続け、東大生協所有としつつもそれがどのように継承され続けるべきなのか、その管理負担の所在が吟味されることがなく制度の内部に組み込まれ、強い注意を引かないまま、2017年9 月に食堂の改修工事の過程で廃棄処分された(*8)。

[図3]宇佐美圭司《きずな》(1977)キャンバスに油彩 約370×480cm 旧東京大学本郷キャンパス中央食堂(2017年廃棄) 写真提供:加治屋健司

 その作品が廃棄されたとき、多くの報道では「管理ミス」や「認識不足」といった言葉が使われ、大学生協側からも知識不足による軽率な行動であったと謝罪文が公表された(*9)。だが、この出来事をたんなる知識や認識の不足に起因する事故として片づけてしまうと、見落とされるものがある。《きずな》は、誰かによる明確な悪意のもとで捨てられたわけではない。むしろそこには、作品を「残している」つもりでいながら、誰もそれを引き受け切れていない状態が、長く続いていた。

 本件を受けて行われたシンポジウムにおいて、東京大学教授の小林真理は、この出来事を「所有権の絶対性」を前提とした判断が引き起こしたものであると言及している(*10)。すなわち、所有者が美術作品を通常の商品と同様に扱い、処分可能な対象として判断した点に問題があったという指摘である。この批判は、美術作品がたんなる物的財ではなく、特有の配慮や責任を伴う存在であることを改めて可視化した点で、重要な意味を持っている。しかし同時に、作品の取り扱いには専門的な知識や経験が不可欠であり、その多くは暗黙の了解として美術関係者の内部で共有されてきたものである。そうした前提を、東大生協のような専門外の所有主体に対して事後的に要求することは、必ずしも現実的とは言いがたい。問題は、所有者の倫理意識の欠如に還元されるものではなく、作品が発注・設置された段階において、作家や保存修復家、学芸員といった専門家が関与し、作品の将来的な扱いや引き継ぎについての合意や手続きを設計できていなかった点にある。ここには、責任の所在と専門性をあらかじめ共有する仕組みそのものの欠落が露呈している。

 こうした仕組みの欠落は、美術館のような専門機関の外部ではなおさら深刻になる。大学という場での展示や管理は作品の鑑賞がより身近であり、取り扱いの自由度が高い。一方で作品の保存管理の議論は後景化しやすく、今回のような相続の問題は、ある日突然顕在化する。実験装置、資料、掲示物、記念碑的なオブジェ。それらは日々更新され、入れ替えられ、役割を終えたものは静かに姿を消していく。その流れのなかで、美術作品だけが特別に扱われ続ける保証は、じつはどこにもない。展覧会としての展示でもなく、厳密な収蔵でもなく、しかしそこにある状態が続くとき、作品は制度のなかで宙吊りになる。 《きずな》が置かれていたのは、まさにその宙吊りの位置だったのではないか。所有者は明確な一方で、作品の保存管理という、ある種の負債の担い手は明確でないまま先送りされる。その結果、作品は「あるが、受け継がれていない」状態に置かれ続ける。廃棄という出来事は、その状態が限界に達した地点で、ようやく表面化したにすぎない。

 中西夏之の資料が、自覚的な手続きを経て引き受けられていった過程を思い返すとき、この対照はあまりにも鮮明である。そこでは、作品や資料が残ること自体が、誰かの具体的な行為と時間によって支えられていた。《きずな》には、その支えが見えないまま、時間だけが積み重なっていた。

 この出来事は、作品が評価されなかったから起きたのではない。評価や善意とは別の次元で、作品が宙吊りのまま存在し続けることそれ自体が、見過ごされがちな負荷を蓄積させていたのである。 作品のメンテナンスや判断が先送りされるほど、その負荷はたんに残存するのではなく、別のかたちで増殖していく。それは、返済の機会を与えられない負債が、時間とともに複利で膨らんでいく状況によく似ている。制作や展示、所有にあたった当事者がいなくなることはその一例である。作品が「資産」として回収されるとき、その維持に要する労働や判断は不可視化される。しかし、その不可視化された部分が制度の許容量を超えたとき、作品は突如として「処理すべき対象」、すなわち負債として立ち現れるのである。

 作品の負債性が引き継がれないという構造は、決して個別の悲劇にとどまらない。近年、大阪府が所蔵する「大阪府20世紀美術コレクション」の一部が、適切とは言い難い環境下で長期間保管され、劣化が進行していたことが報告された(*11)[図4]。このコレクションは約7900点に及ぶ公共財であり、所有者は明確に大阪府である。にもかかわらず、鉄製の大型立体作品105点は、保管場所が転々とした末、咲洲庁舎地下駐車場という本来保管に適さない環境に置かれ、錆や変形といった劣化が生じていたことが、専門家の調査によって明らかにされた。ここで問題となっているのは、所有権の不在ではない。作品を誰が持っているかは明確でありながら、作品が将来にわたって要求する維持管理や判断の責任を、主体的に引き受ける存在が欠落していたという点である。新美術館構想の凍結以降、コレクションは展示と保管を繰り返しながらも、中長期的な活用・保全の方針を欠いたまま運用されてきた。その結果、作品は活用も廃棄もされないまま、制度の隙間に宙吊りにされていた。

[図4]大阪府咲洲庁舎地下3階駐車場における大阪府20世紀美術コレクションの保管状況 出典:大阪府「アート作品の活用・保全に向けた中間報告」参考資料2、 2024年 撮影:黒川弘毅

 大阪府20世紀美術コレクションと宇佐美圭司作品の事例において、どちらも作品は「価値」としてだけではなく、「引き継がれるべき負債」として残される。しかし、その負債を自覚的に相続する主体が存在しないとき、作品は劣化や廃棄というかたちで静かに失われていく。ここに見られるのは、芸術作品の死が、例外的な事故ではなく、相続と継承の設計が欠落した制度の反復的な帰結である。

 こうした事態は、日本国内の特異な出来事にとどまらない。国際的な調査に目を向けると、同様の問題が世界中の美術館で共有されていることが明らかになる。ICCROM とUNESCOによる2011年の国際調査(*12)、およびICOMによる2024年の報告(*13)では、世界中の博物館が慢性的な収蔵スペース不足と資源不足に直面している現状を示している。約4割の博物館で収蔵庫はすでに満杯であり、目録作成や所在管理が不完全な館も少なくない。所有権が明確であっても、作品が将来にわたって要求する維持管理や判断の責任を、十分に引き受けられていない状況が広く共有されているのである。日本においては、この問題はさらに深刻である。高度経済成長期以降に建設された博物館施設の多くが老朽化の時期を迎え、収蔵庫の逼迫、更新不能な設備、慢性的な予算・人員不足が同時に進行している(*14)。資料購入予算が存在しない館が6割を超えるという状況は、コレクションを「引き受け続ける」制度そのものが限界に達しつつあることを示唆している。これらの調査結果が示すのは、作品の死や劣化が、個別の失策や偶発的な事故ではなく、構造的に繰り返される帰結だという点である。作品が増え続ける一方で、それを引き受ける制度の限界量は変わらない。負債は蓄積し、しかし完済することは叶わない。

 では、この宙吊りを生み出してきたのは誰か。大学や行政、美術館だけではない。作品が「残るべきもの」として当然視され、その維持が誰かの労働と費用の上に外部化されてきたこと──その前提を共有してきたのは、作家もまた同様である。制作の現場では、作品の終末条件が設計されることは稀であり、死後の負担は遺族や現場へと転嫁される。問題は、誰かが作品を愛せなかったことではない。愛と善意だけでは返済できない負債を、あらかじめ引き受ける仕組みが欠けていることにある。次章では、このような状況のなかで、作家は作品の未来と終わりにどのように関わりうるのかを問い直したい。

*8──作品廃棄の経緯については、東京大学「東京大学中央食堂の絵画廃棄処分について」2018年5月8日 https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/articles/n_z1602_00002.html(最終閲覧日:2026年1月10日)を参照。
*9──東京大学消費生活協同組合「東京大学中央食堂の絵画廃棄処分についてのお詫びと経緯のご報告」2018年5月8日. 前掲(*8)のページよりダウンロード可能。
*10──三浦篤, 加治屋健司, 清水修編『シンポジウム「宇佐美圭司《きずな》から出発して」全記録』東京大学, 2019年。小林真理の発言は76頁を参照。
*11──大阪府府民文化部「アート作品の活用・保全に向けた中間報告」2024年1月30日, 参考資料2「専門家による調査結果(概要)」。https://www.pref.osaka.lg.jp/hodo/fumin/o070100/prs_49925.html(最終閲覧日:2026年1月10日)
*12──ICCROM & UNESCO, ICCROM-UNESCO International Storage Survey 2011: Summary of Results, 2011.
*13──François Mairesse(with the collaboration of Marine Thébault), Museum Storage around the World: Report of the ICOM Working Group on Collections in Storage, ICOM, 2024.
*14──公益財団法人日本博物館協会『令和元年度 日本の博物館総合調査報告書』2020年9月。

編集部

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