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2017.3.31

石碑と人からみるメディアの本質
椹木野衣が見た竹内公太個展

記憶を記録に転換する際のメディアのあり方や、情報をとらえる我々の様をテーマに作品を発表している竹内公太。3月4日までSNOW Contemporaryにて開催されていた「写真は石碑を石にする、それでも人は」展のレビューをお届けします。

椹木野衣=文

竹内公太 変身 2017 240枚の写真、USB-udpチップ、衣服、靴 サイズ可変 撮影=木奥惠三
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椹木野衣 月評第104回 竹内公太「写真は石碑を石にする、それでも人は」展 人と碑と

 美術界での竹内はまず、東京電力福島第一原子力発電所の事故現場で復旧作業にあたる防護服姿の人物として私たちの前に現れた。竹内がこの作業員と同一人物であろうことは、これにまつわる作品が2012年の個展「公然の秘密」を通じて発表されたことからもわかるとおり、実際にはよく知られている。けれども、「公然の事実」と「公然の秘密」との間には、微妙だが埋められない溝がある。実際、竹内はいまでもその作業員の「代理人」を名乗っている。

 だが、これはなにも竹内に限った話ではない。私たちは誰でも、写真に写された自分の姿が自他ともにその人と認めるものであっても、ひとたびそれを実証しろと言われたら、実はひどくむずかしい。その意味で、竹内が自分で「自分」の代理人を名乗るのは、誰もが潜在的にはそうであることそのものを代理しているともいえる。

 このように竹内はそのデビューから、一貫して自己の分身を進んで設定し、そのもう一人の自己とのずれと重なりを扱ってきた。写真や映像のように、もともとの自己の所在を分裂させ、複製してしまう装置を積極的に使うのは、そのためだろう。それは、今回の「石碑を二度撮る」のように、「自撮り」を多用するかたちで出された一連の作品でも同様だ。個展前日の朝、突然床に作家自身も覚えのない衣服とUSBチップが置かれており、その説明文が作家のメールアドレスから送られてきたという突飛な設定も、その意味では理にかなっている。

《変身》(2017)より、「米軍用機遭難追悼碑」。
右は斎藤伊知郎『近代いわき経済史考』からのスキャン写真、左は竹内が撮影したもの 撮影=竹内公太

 しかしそれだけではない。これに加えて竹内は、そうした分身を産出するメディアが、見かけほど古くも新しくもないことを、自分が生きている時間との相対化を通じて示そうとする。写真はかつて最新のメディアであったけれども、いまはそうではない。逆に石碑はいかにも古くさいようで、その持続性はひょっとしたら写真よりも長いかもしれない。ただし両者は対立さえしていない。私たちは石碑を見飽きているようで、実際には写真を通じてそれについて知ることのほうが多くないか(今回の竹内がそうであったように)。こうした古くもあり、新しくもあるものとイメージの交錯は、結局のところ、どれほど時間が経っても古くも新しくもならず、なおかつものにもイメージにもなりきれない曖昧な次元があることを浮かび上がらせる。

 おそらくはそれが「人」であり、そのことを示すのが、今回の個展のタイトルなのではないか。写真に撮られることで石碑は石ではなくイメージになりそうなものだが、実は石碑が石であることは、写真を通じて初めて広く共有される。しかしながら、こうした輻輳的なメディアの変換を通じても、人だけは、ものにもイメージにも還元することができない。もの化やイメージ化そのものが、これらのメディアがつくり出す自己同一性をめぐる揺らぎ=効果にほかならないからだ。人だけはものにもイメージにも定着できないと言ってもいい。

 おそらく竹内の関心は、見かけほどには震災や原発事故そのものにはない。突き詰めて言えば、それらの事態が、自己同一性をめぐる危機を特出して明らかにする機会だからなのではないか。

右が、画家グスタフ・クールベの洞窟絵画と自画像を自撮り風にコラージュした《セルフィー・イン・サブライム─洞窟》(2016)。左は、ベルギーのHADES地下研究所を訪れた竹内のセルフポートレート《セルフィー・イン・サブライム─HADES》(2016) 撮影=竹内公太

PROFILE

さわらぎ・のい 美術批評家。1962年生まれ。近著に『後美術論』(美術出版社)、会田誠との共著『戦争画とニッポン』(講談社)、『アウトサイダー・アート入門』(幻冬舎新書)など。8月に刊行された『日本美術全集19 拡張する戦後美術』(小学館)では責任編集を務めた。『後美術論』で第25回吉田秀和賞を受賞。

『美術手帖』2017年4月号「REVIEWS 01」より)