|豊かな「さいはて」で出会う、最先端のアート
能登半島の先端に位置する人口1万4000人の町・石川県珠洲市。1954年の市制施行当時の人口は3万8000人だったが、その数は減少の一途をたどっている。そんな自らを「さいはて」と称する珠洲市で今年、「奥能登国際芸術祭2017」が新たにスタートした。総合ディレクターは「大地の芸術祭」(新潟県越後妻有)や「北アルプス国際芸術祭」(長野県信濃大町)など、数々の芸術祭をディレクションしてきた北川フラム。この芸術祭の計画が持ち上がったのは約4年前で、北川を中心に、数多くのサポーターたちの協力によって9月3日に開幕を迎えた。
舞台となるのは、珠洲市内10のエリア。珠洲は黒潮(暖流)と親潮(寒流)がぶつかり、外浦(北側)と内浦(南側)に数多くの岬が連なる独特の地形。この半島には、揚げ浜式製塩や珠洲焼、巨大な行燈の山車「キリコ」、漂着物を敬う「漂着神」という考えなど、豊かな里山・里海文化が色濃く残っている。
本展では11の国と地域から参加した39組のアーティスト・プロジェクトが、「岬めぐり」「里山・里海」「漂着神」「奥能登の文化的蓄積」「つながる日本海」などをテーマとした数多くの新作を発表。その一部をレポートで紹介する。
|塩田(えんでん)からインスパイアされた船と糸 塩田千春
かつての保育所の一室に張り巡らされた膨大な赤い糸。それは実際に使われていた古びた砂取船から伸びている。この作品を手がけたのは、現在ベルリンを拠点に活動している塩田千春。塩田は空間に張り巡らせた糸や靴など、人々の生活の痕跡や記憶を内包する素材を用い、インスタレーションを中心に数々の作品を発表、2015年には第56回ヴェネチア・ビエンナーレで日本館代表作家として参加し、大量の赤い糸と世界中の人々から集められた鍵を使った《掌の鍵》を発表した。本展では、第二次世界大戦中に上官の命令によって戦地行きを免れ、製塩に勤しんだ角花菊太郎という人物の歴史を辿りながら、揚げ浜式製塩に秘められた人々の生活と歴史を船に乗せる。
|断崖絶壁にそびえる彫刻 鴻池朋子
「断崖絶壁」という言葉がそのまま当てはまるシャク崎。この、人を寄せつけない場所にあえて作品を設置したのが鴻池朋子だ。今回、作品制作のために鈍行電車に乗って珠洲を訪れたという鴻池は、この場所を見てどうしても作品を設置したいと希望したという。はるか眼下に透明度の高い木ノ浦湾を見下ろし、周囲に人工物がなにひとつない場所。鴻池はここに人とも動物ともつかないモチーフを置き、人間がつくりだした物質の特異性と力強さを見せつける。
なお、鴻池はこのほか2会場でも作品を展示。地元の人々が語った私的な思い出を鴻池が下絵に起こし、語り手本人が刺繍で縫い上げる《物語るテーブルランナー・珠洲編》は、現代版の遠野物語のように雄弁だ。
|祖父母の記憶を紡ぐ さわひらき
自らの心象風景や記憶の中にある感覚を、映像を中心にしたインスタレーションで表現するさわひらきは、さわの祖父母がかつて珠洲で暮らしていたという事実に着目。昭和23年、さわの祖父が病気で倒れたとき、祖母が金沢から海路で運んできた氷によって一命をとりとめたという逸話をもとに、映像と立体などで作品を構成。さわの私的な物語と、かつて海上交通が主たる手段であった能登半島の歴史が重なり、展開される。
|古民家の中にある雄大な自然 岩崎貴宏
今年のヴェネチア・ビエンナーレで日本館代表作家を務めている岩崎貴宏は、珠洲の古民家を丸ごと使用したインスタレーション《小海の半島の旧家の大海》を見せる。古民家を構成する畳や木材、あるいは襖の山水画などをひとつの「自然」と考えたという岩崎。引き戸によって囲われた部屋(岩崎はそこを演劇的な舞台と呼ぶ)を日本海に見立て、そこに約2トンもの塩を敷き詰めた。珠洲に流れ着いた漂着物を韓国・中国に、日本人形のガラスケースを巨大な船に見立てるなど、珠洲を取り巻く環境が見事に家の中で再構成されている。
|漂着した神 深澤孝史
かつては「漂着神」として崇められた、海に流れ着いた漂着物。しかしながら現在、珠洲に漂着するものは廃棄物でしかない。この、過去と現在の漂着物に対する関わりの変化をテーマに、「現代の漂着神」をつくりあげたのが深澤孝史だ。《神話の続き》と題された本作を構成するのは、国内外からやってきた白い漂着物。この作品では漂着物をご神体に、水平線の向こうを本殿とした「環波(かんなみ)神社」を実際に建立し、大量生産・大量消費時代を経た、新たな「神話」を未来へと紡いでいく。
|廃駅で覗く希望 トビアス・レーベルガー
2009年の第53回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展で金獅子賞を受賞するなど、国際的に活動するドイツのトビアス・レーベルガー。2005年に廃線した「のと鉄道能登線」の終着駅であり、いまは廃駅となっている「旧蛸島駅」で見せるのは大規模作品《Something Else is Possible》だ。色とりどりに渦巻くフレームに設置された望遠鏡。そこを覗くと見える「Something Else is Possible」のネオンサイン。使われていない線路の上で、明るい未来が見通せることを体験として提示している。
なお、同じく旧蛸島駅ではインドネシアのエコ・ヌグロホが駅舎に大胆なペインティングを施した。第二次大戦時、インドネシアでは日本の占領下で鉄道が敷かれたという歴史(現在は廃線)があり、鉄道という共通項を通して、日本とインドネシアの歴史的関わりを見せる。
|「忘れる」とはどういうことか 河口龍夫
廃駅となった旧飯田駅。ここにはかつての時刻表などがいまも残されており、かつての情景を思い起こさせる。そんな駅と、切っても切れないのが「忘れもの」だろう。この忘れものでかつての駅舎、つまり「忘れられた駅舎」を満たし、《忘れもの美術館》に変えたのが河口龍夫だ。一度は必要とされたものさえ、いつかは忘れ去られていくという現実。人はなぜ忘れていくのか、忘れるとはどういうことかを問う。
|何かが起こる予兆 アデル・アブデスメッド
河口龍夫と同じく、こちらも廃駅である旧鵜飼駅を作品に変えたのは、国際的に活動するアルジェリアのアデル・アブデスメッド《ま-も-なく》だ。どこかから運ばれてきた電車には、一本の長い発光体が突き刺さっている。定期的に鳴り響く踏切警報機。電車が動くことはないが、そこにはまもなく何かが起こるという予兆で満ちている。
|珠洲の歴史、家の歴史 スズプロ
奥能登国際芸術祭を機に結成された、金沢美術工芸大学の教員と学生のチーム「スズプロ」。彼らは珠洲の歴史的・社会的背景をふまえ、「静かな海流をめぐって」をテーマに、飯田地区の古民家での作品展示を中心にプロジェクトを展開している。海の向こうに見える小さな灯「龍燈伝説」が根付く珠洲。この伝説は中国にもあるという。《奥能登曼荼羅》と題された巨大壁画で描かれるのは、日本海を挟む珠洲と中国の文化的交流。同作には、珠洲に飛来する99種類もの渡り鳥や奥能登に自生する花々、そして学生がフィールドワークで地元の人々に聞いてきた話などが盛り込まれた、まさに現代の曼荼羅となっている。
また、同じ古民家では複数の蔵に収めてあったかつての帳簿や、家具などを巨大な網で覆い、家の歴史をまるごと積み上げた《家の木》なども見ることができる。
|ある家族の記憶を辿る 石川直樹
現役の銭湯でありながら、かつては遊郭や芝居小屋などを併設していた宝湯。ここを営む橋元家の歴史を辿り、撮り下ろした写真と、同家の家族写真でインスタレーション《混浴宇宙宝湯》を構成したのが石川直樹だ。まるでこれから宴が催されるように食器が準備された宴会場や、遊女が客をもてなした4畳半の小部屋など、歴史を重ねるに連れ複雑に増築され建築を彷徨うように、その歴史を概観していく。「橋元家の4代の歴史を遡ると、それは珠洲の歴史に直結する。ファミリーヒストリーを掘り下げ、土地の歴史と結びつけるような展示にしています」と石川は語る。
「能登は政治的にも環境的にも、非常に厳しい日本海に突き出ている。しかしこの半島が、今後の地球を考えたとき、もっとも大きなエネルギーを持った場所。この『最先端の地』で、『最先端の美術』をやろうと思った」。総合ディレクターの北川フラムは奥能登国際芸術祭に対する思いをこう話す。経済的には決して裕福とは言えないが、ここにしかない自然、ここにしかない文化が確かに息づく珠洲。参加アーティストたちが、それらに真摯に向き合って生まれた作品の数々は、確実に珠洲の歴史・文化をいまに伝えることに成功していると言えるだろう。