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「シビック・ファッション」とは何か。建築家・藤村龍至とCCBTの伊藤隆之と島田芽生が考えたアートにこそできること【3/3ページ】

人間の批評性が余白を見出す

──いっぽうで、2010年前後には藤村さんがおっしゃるように、多様な意見を尊重する集団知の議論が盛んでしたが、現在はAIの台頭によって、本当に人間の価値判断が最適解を導き出せるのか、という問いも顕在化しています。このような社会変化のなかで、「ソーシャル・アーキテクチャ」の概念はどのようにとらえるべきなのでしょうか。

藤村 建築史から振り返ってみると、19世紀の建築は王様と建築家の1対1の関係(パトロネージュ・システム)としてシンプルでした。20世紀になると官僚組織やチームによる設計へと移行しましたが、21世紀のいまはデータベースに対してアルゴリズムが最適解を出してしまう時代です。人流データがあれば、橋をどこに架けるのが最も効率的か、機械が正解を出してしまいます。かつて建築家は組織に対抗していましたが、いまは機械が出す正解に対して、どう「人間としての批判性」を提示するかが問われています。

 例えば、先ほど申し上げたポリティクス(政治性)です。人間の当事者同士でしかわからない関係や、可視化されない既得権益の衝突は、人流データだけでは解決できません。行政は、最初から完璧なプロポーザルを求め、コミュニケーション能力を点数化して判断をしてしまいますが、それでは「機械的な正解」に勝てません。何回も繰り返して、お互いに「何が欲しいのか」を理解していく。その冗長とも言えるプロセスこそが、AI以降の世界で人間が「自発性」を取り戻すための、ソーシャル・アーキテクチャの核心になるはずですし、それこそがアーティストが担う役割になりそうです。

──「余白」を戦略的に残し、マネジメントしていくというお話を聞くと、まさにここCCBTも、巨大な再開発が進む東京という都市の中で、そうしたオルタナティブな場所を提供し続けるという役割を担うことになるのでしょうね。

藤村 そうでしょうね。CCBTの活動のなかでは、何か特定のエリア戦略のようなものはあるんですか? 例えば中目黒や原宿といった場所に、戦略的に介入していくような。

伊藤 明確にエリアを限定しているわけではありませんが、場所による特性の違いは強く感じます。以前、渋谷の公園通りにあったときと、いまの原宿の竹下通りの裏手にあるときとでは、環境がまったく違います。これだけ観光客で溢れる竹下通りのすぐ裏に、観光とはまた別の位相でこうした場所があるのは、意味があると考えています。原宿の街は、表参道と竹下通りというふたつの象徴的な通りの間に、意外なほどガランとした「裏側」の構造があるんですよね。ここに来て初めて、その「隙間」のおもしろさを認識しました。

藤村 市場の原理に任せるのではなく、ポリティクス(政治)として戦略的に「空白」を使いこなす場所として価値を高められるといいですよね。CCBTのような拠点がアーティストが集まる自発性の種をインストールしていく。

伊藤 制度の内側からそうした「自発性の物語」をつくっていくことは、簡単ではありませんが、都市の硬直を解く鍵になると感じました。

藤村 市民が自分の意見を出す「練習」を積み重ねることが、都市の装い、つまり「シビック・ファッション」につながるように思います。その物語をつくるアーティストの存在が、東京という都市が人間らしい豊かさを持った「キビタス」へと進化していく助けになると思います。

編集部