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櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:追悼、本田照男【4/4ページ】

 本田さんは、僕が想像していたよりもずっと真摯にアートのことを考えていた。一緒に絵を描く高齢者を単なるワークショップの参加者として扱うことなく、ひとりの表現者として尊重し、作品を残すことの意義を伝えていた。それは、絵を描く行為が人生を豊かにする営みだと身をもって知っていたからだろう。

 その波乱の人生の物語性や、強迫的とも言える情熱で作品制作に没頭する姿、膨大な作品数など、本田さんこそが「超老芸術」を体現する存在だった。しかし、それはある種のステレオタイプ化した考えであり、僕らが理想像を当てはめているだけかもしれない。本田さんは確かに孤独な時間を多く過ごしたかもしれないが、展覧会場での彼の姿を見れば、決して孤立していなかったことがわかる。いつも人が集まり、ときには「先生」と呼ばれ、どんな小さなグループ展でも声をかけられれば参加していた。自宅兼アトリエにも絶えず人が出入りし、前日朝に洗面所で倒れた際も第一発見者は親しい知人だったという。本田さんがどれだけ愛されていたかがわかる。彼は、孤独な芸術家というイメージとは裏腹に、コミュニティの中で愛され、必要とされる存在だった。

本田さんの作品

 本田さんの活動は、「超老芸術」の可能性を大きく広げた。高齢者が創作を通じて自己を表現することは、たんなる趣味や時間の潰し方を超え、人生の意味を再発見し、社会とのつながりを再構築する力を持っている。本田さんがワークショップで高齢者に教えたのは、絵の技術だけではなかった。彼は、参加者に「自分の人生の物語を大切にすること」を伝えていた。創作は単なる表現行為ではなく、人生を肯定する力になり得るのだ。

 今年3月より公開された阪元裕吾監督の新作映画「ネムルバカ」では、劇中の主要場面で作品提供にも協力していただいた。「映画館へ観に行ってくださいね」というのが、僕が本田さんと交わした最後の言葉だった。公開を心待ちにしていた本田さんは、ちゃんと劇場まで足を運んでくれたと、亡くなった後に耳にした。「感謝であります、ありがとうございました」と彼の絵を眺めていると、いまにも彼の言葉が聞こえてくるようだ。

編集部