閉店した焼肉店の店内で、本田さんは画材や作品に囲まれ、国民年金とわずかな家賃収入で質素に暮らしながら、絵を描くことで心の平穏を保っていた。展覧会に出展すれば、額装などの準備で赤字になることもあった。それでも焼肉店時代の生活リズムで昼頃に起き、仮眠を挟みながら一日中描き続け、年に1〜2回、ピカソやベートーヴェンとの「対話」を感じる瞬間が生きる喜びだったと語っていた。そんな本田さんは、孤独と向き合う心情をこう述べていた。
「出自の関係で、これまで相手の顔色をうかがってきた人間ですから、描くことで自分を素の状態に戻すことができるんです。絵を描くことは孤独との闘いでありまして、絵のことについてぶつかりますといまの生活やこれから先どんなふうにして死んでいくのが良いのかなと考えまして、確認する毎日なんです。時々、孤独感に襲われて目の前の川に飛び込んで死んじまいたいと思うこともありますけれども、小さな絵を描くことで喜びが湧き上がってまいりまして、何かの形で自分が生きてきた証を残しておきたいなと思っています。波乱の人生でありましたので、波乱の人生がこういう絵を生んだとするならば、波乱の人生であったからこそ、豊かな感性をいただいたのかなと思いました。日々感謝であります」。
この「感謝であります」という本田さんの口癖は、僕にはスウェーデンの社会学者ラーシュ・トーンスタムが提唱する「老年的超越」を体現しているように思えた。つまり、本田さんは自己や命が過去から未来への大きな流れの一部であるという宇宙的意識を感じることで、不幸な感情が薄れ、感謝の気持ちが高まっていったのではないか。




















