• HOME
  • MAGAZINE
  • SERIES
  • 櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:無限に広がる幾何学模…

櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:無限に広がる幾何学模様

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第81回は、幾何学模様の合板をつなぎあわせた作品をつくる天野明さんに迫る。

文=櫛野展正

天野明さん

 2024年11月に静岡県三島市を舞台に開催された「三島満願芸術祭2024」。2023年度から始まった芸術祭であるにもかかわらず、多くのボランティアスタッフが集まり、芸術祭の参加権として日本で初めてトークンを発行するなど、静岡県内でも注目の芸術祭として話題を集めている。

 本芸術祭でキュレーターを務めた青木彬さんとの対談の最中、客席から「カバンの中に面白いものを入れて歩いている人に会った」という話を耳にした。そこから1ヶ月ほど経って、僕は偶然にもその人に出会うことができた。

 「ここへ電話してみたらって聞いたので」と大きな荷物を抱えて待ち合わせ場所にやってきたのは、静岡県富士市に暮らす天野明(あまの・あきら)さんだ。キャスターを付けた自作の木箱の中には、パズルのピースのような形に裁断されたベニヤ板を積層した合板が入っている。そばで静かに見守っていると、接着剤を使わずにそれぞれをつなぎあわせ、あっという間に不思議な立体ができあがっていく。無限に広がっていくようなその造形美と、陽の光を受けて地面に伸びる影の形の面白さに、思わず心を奪われてしまった。所々が欠け落ちてしまったピースの部分や表面の塗装の様子から、これらは天野さんの手によるものであることがわかった。それにしても、いったいなぜ幾何学模様なのだろか。

箱に入ったのは分解されたパーツ
組み立てて作品にしていく

 「正多角形は無限にあるけれど、そこから派生した正多面体は、正四面体、正六面体(立方体)、正八面体、正十二面体、正二十面体の5種類しかないでしょ。そのことを頭では理解していても、何かひっかかっていて。学校では、なぜ、どうしてという疑問に答えてくれないじゃないですか。例えば、なぜ我々は4次元ではなくて3次元の世界に生きているのかってね」。

 天野さんによれば、そんなひっかかりが作品制作の出発点になったのだという。「自分としては、通常ではないものをつくってみたいという思いが強かった。寝る前や寝起きの瞬間などに発想が浮かんでくるんですよね」と話す。

 天野さんは、1958年に京都市で3人兄弟の長男として生まれた。小さい頃から何をやっても取り柄がなく、「自分は頭が悪い」と常に劣等感を感じて生きてきたという。

 「いつも『みんなと同じようにしなさい』と耳にタコができるぐらい言われていました。それが、とにかく嫌でしたね。だからといって、人と競争したら負けちゃうんですよね。かけっこをやっても、いつもビリだったし、これといった取り柄もなかったんです。自分の頭が悪かったというのもありますけど、社会に流されて生きているということが面白くなかったんですよね。だから、この仕事をしたいとか、これでやっていきたいというものがありませんでした」。

 大学進学は諦め、高校を卒業してからは、京都府内や隣の滋賀県、そして神奈川県の自動車工場など様々な場所を点々としながら懸命に働いてきた。これまで携わってきた仕事の数は、数えたらきりがないほどだという。富士山の魅力に惹かれて、この街にやってきたのは、いまから20年くらい前のこと。65歳まで富士市内の製造業社に勤務し、2年ほど前に定年を迎えた。

 そんな天野さんが、図形に興味を持つようになったのは、小学生ぐらいのときのことだ。子供の頃は、絵を描くことや工作が得意な少年だったという。その延長からか、若い頃には仕事の合間に、誰に見せるわけでもなく、左右が非対称の幾何学模様の絵を描いていた時期もあった。

 「若い頃には、もっと世界を知りたいと思って、インドやネパール、イランなどシルクロード沿いを旅したこともありました。自分の知らない世界に対して大きな憧れを抱いていて、そこに入っていきたいという気持ちが強かったんですよね」。

 スペインでももっとも美しい都市のひとつ、グラナダの丘にある世界遺産アルハンブラ宮殿を訪れた際は、宮殿内部の美しい装飾に魅了された。きっと大きな刺激を受けたのだろう。

 マグマのように創作への思いが募っていき、それが噴火したのはいまから5年前のことだ。

 近所にあるホームセンターの工作室では、店内で購入した資材の加工ができることを知り、ベニヤ板を購入しては、そこで制作に没頭するようになった。

 まず、方眼紙を使って試作品を組み立てたあと、それらをベニヤ板に転写し、糸鋸などを使って裁断していくのだという。保管場所の問題もあって、接着剤を使用するのではなく、木片をパズルのようにつなげて組み合わせていく。そのことが結果として、無限にピースを広げることができるという表現の多様さにもつながっている。

 「たくさんピースがあると、発想も浮かんでくるし、思いがけない発見もあるんです。だから、いわば終わりのない創作なんですよね。これを使って社会に貢献したいという思いが強いから、地場産業にもしていきたいし、色々な人に協力してもらって、大きなものを組み立てていくようなことにも挑戦してみたい。そしてできることなら、これを仕事にしていきたい」。

 現在は年金生活だが、あらゆるほかの欲求を削ってでも制作にすべてを費やしている。ただ、展覧会を開こうにも、そのための資金を捻出することは難しい。だから、自作を抱えて三島満願芸術祭などにやってきては、道行く人たちにアピールすることもあるようだ。

 天野さんのお話のなかで印象的だった言葉がある。それは「やっと社会の流れから解放された」という発言だ。短いインタビューのなかでは、そのすべてを窺い知ることはできないが、自分の掌の中から表現するという喜びを得たことで、もしかしたら天野さんは改めて自分の人生を歩み始めているのではないだろうか。

 そもそも、幾何学文様の起源は、古代ギリシャにまで遡り、文字では表現しにくい意味を示すのに、こうした図形が使われるようになったとされている。天野さんが感銘を受けたスペインの世界遺産アルハンブラ宮殿は、イスラム王朝の栄華の象徴とされているが、イスラム教が偶像崇拝を排する教義であったため、こうした圧巻の壮麗精緻な幾何学模様が開花した。花や鳥、人物などの具象柄は使えないかわりに、礼拝所の壁や天井を埋め尽くすほどの幾何学文様を描くことで、当時の人々は大いなる神に対し畏怖の念を感じていたようだ。つまり制限されることで、そこから花開く表現もある。そのように考えると、無限に広がる天野さんの幾何学模様も、今後の可能性を感じざるにはいられないのだ。

編集部

Exhibition Ranking