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アートと気候危機のいま vol.9 地球のいまを映す「泥」の物語──リッケ・ルター、気候危機を“翻訳”する【5/7ページ】

気づけば世界中が泥に覆われる時代に

──これだけ多くの時間を気候科学者たちと過ごすなかで、彼らと最新の気候科学についていろいろ話されたと思います。実際のところ、気候科学者たちはどれくらい現状を深刻に受け止めているのでしょうか? 最近では、気候科学者のうつ病率が世界的に高まっているとも聞きます。

ルター じつは、そのことについて直接話す機会はあまりないんです。でも、みんなそのことを「知っている」。背景としてつねに存在している。気候科学者たちは……とても心配しています。本当に、非常に深刻に受け止めています。彼らはとても強い人たちで、何が起きているのかを理解しようとし、問いを立て続けているけれど、現実は……かなり厳しいです。とりわけ、「生物多様性の危機」は非常に深刻です。なぜなら、それは一度失われたら二度と元には戻らないから。

 先日、「AMOC(Atlantic Meridional Overturning Circulation)」(*9)の研究をしている数理統計学者の講義を聞きました。彼女によれば、AMOCの循環は弱まっており、いずれ止まってしまう可能性があるそうです。「ティッピング・ポイント(転換点)」に達したとき、そこから先はどうなるかはもう分からない、とも。もしかしたら、私たち人間はもうこの地球上にいないかもしれません。ネズミたちが巨大化して、大きなタンポポや巨大な昆虫たちが現れるかもしれない。まるで『風の谷のナウシカ』の世界みたいに。

 科学者たちは過去に遡って研究していますが、それは新しい「生命の理解」を求めているからなんです。彼らが言うには、「私たちはまだ、理解の始まりに立ったばかり」なんだと。現状をたんなる「災害」として扱うだけではなんの役にも立たないと考えているんです。

──人類にとって過酷な未来が予測されるなか、どうにか前を向いて建設的になろうとしているんですね。あなたの映画では、何千年ものあいだ安定していた地球が、撹乱と流動性の時代に突入したことを描いており、「泥」はまさに地球の現状を象徴する優れたメタファーだと感じました。

ルター ええ、「泥」こそがまさに転換期を象徴する完璧な素材だと思っています。いま私たちが置かれている状況そのものなんです。

 私が泥に取り憑かれはじめた2015年当時は、これほどまでに状況が深刻になるとは思っていませんでした。まさかその後、アイスランドやグリーンランド、ノルウェーで深刻な地滑りや泥流が発生するとは予想だにしなかった。ましてや、2021年に泥流によってドイツやベルギーの人々が亡くなるなんて……(*10)。

──日本でも毎年のように大雨や土砂災害が続いていて、本当にひどいありさまです。

ルター いまのデンマークの状況も似ています。例えば、かつての自然の風景なんてもう2パーセントくらいしか残っていない。日本もそうでしょうけれど、私たちの国もそうです。かつての湿地や沼はほとんど失われ、コンクリートに覆われてしまった。私たちは、自分たちの政治をもう一度見直さないといけない時期にきている。考え方そのものを変えて、風景を見直し、再設計しなければなりません。

 はじめ私は、ただ「泥」を見つめていただけでした。でも、気づけば世界中が泥に覆われていた。作品が完成する前に、現実のほうが先に動き出していたんです。

*9──南半球や熱帯付近の温かい水が北大西洋の寒冷な海域へ北上し、北大西洋の冷たい水が海底に落ち込み南下していく海水循環。気候を安定させる重要な役割を担っている。
*10──2021年7月14・15日に大洪水がドイツ西部とベルギーを襲った。

編集部