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AIが私から奪うものについて。アーティスト・脇田玲の内省

生成AIの急速な進化はいま、アーティストの創作行為に根本的な問いを投げかけている。プログラミングを制作の核に据えてきたアーティストの脇田玲は、創作の過程で得てきたものがAIの台頭により失われ得ることに逡巡する。その問いに向き合ったエッセイをお届けします。

文=脇田玲

脇田玲 雷林図 - LIGHTNING FOREST 2025 オーディオ・ビジュアル・インスタレーション

AIが私から奪うものについて

 ここ数ヶ月の生成AIの進歩は凄まじく、実用的なコードをアウトプットする環境が注目を集めています。生成AIは何時間も忍耐強く作業をしますし、システムのラッパー(Wrapper)(*1)も容易につくってしまいます。私はプログラミングで作品をつくっているアーティストで、現時点では、私の作品を生成AIへのプロンプトのみでつくることは困難です。ただ、この調子で技術が進歩していけば、あと数年で私の作品のようなソフトウェアは誰でもつくることができるようになるでしょう。

 その事実と向き合ったことで、最近プログラミングという行為に面白さや喜びをまったく感じなくなってしまいました。プログラミングは創作の言語であり、マテリアルであり、私に翼を授けてくれる存在でした。その作業のなかに生きる喜びを感じていました。プログラミング言語で数理モデルやアルゴリズムを編み出す時間のなかに私の人生がありました。そこには、いまこの瞬間に自分だけが見ている世界があるというワクワクがあったのです。しかし、最近は新しい作品をつくる気になれません。

 個人的なことですが、私は10年ほど前に大きな病気をして、それ以来、納得して死ぬために、また、生きる意味を再確認するためにアートの活動に没頭しました。コーディングをしながら作品をつくっている時間、その過程で未知の表現に逢着した瞬間こそが、私にとって生を実感する時間でした。

 生成AIにプロンプトを与えてつくるという流れは、あたかも有能な助手やアートワーカーを雇用して、彼らに作業を依頼するボスになったような気分です。もともとコーディングができないアーティストや、プロデューサー的なアーティストにとっては、作業が効率化・高度化し、良いことなのかもしれません。しかし、私はおそらく職人肌なのでしょう。プログラミングという行為から自分を解放できず、なにひとつ良いことが感じられずにいます。効率のなかに希望を見出すことができずにいます。

 私にとって、アートは生産ではなく、生存に近いのです。

 AIが人間からさまざまな仕事を奪い始めています。少なくとも私にとっては、AIが奪っていくものの本質は、仕事のなかに感じていた「生の実感」なのではないかと思っています。

 私の作家としてのアイデンティティは死と向き合うことで生まれたものですので、創作過程で発生する時間の質や感覚、そこから得られる生の実感が豊かでなければ創作は意味をなしません。もし、自分自身を解放することができれば、AIと共存することができれば、新しい方法や表現も生まれ、そこに新たな生の実感も生まれうるのでしょう。すでにその境地に達している方もいらっしゃるでしょう。しかし残念ながら、まだ私はそこに到達しておらず、日々それを探しているのです。

*1──既存のコードを別のコードで包み、複雑な機能を隠蔽(カプセル化)し、使いやすくつくり直す設計手法

雷林図 - LIGHTNING FOREST 2025 オーディオ・ビジュアル・インスタレーション J-POWER(電源開発株式会社)の本社エントランスに設置されている。放電現象のシミュレーションを用いて、雷の集合が森林のような風景をつくり出すプログラム。電力量等のデータによって半永久的に変化し続ける。長谷川等伯の《松林図屏風》(16世紀、安土桃山時代)をリサーチし、配置、枝ぶり、勾配などを現代的に解釈、電気の文明における幽幻な原風景を描くことに挑戦した。

※本稿は、Facebookでの投稿をもとに、掲載に際して加筆修正したテキストです。

編集部

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