外へ内へと展開した他者とのコミュニケーション
頭部にいくつものフランスパンを括りつけて街中を練り歩く「パン人間」。認知症を患った高齢の母をフィーチャーする「アート・ママ」。折元立身と言えば、この2つのシリーズを思い浮かべる人が圧倒的に多いだろう。だが、これらのシリーズがいつ頃始まり、どのような変遷と評価を経てきたかを知る人は意外と少ないのではないか。国際的に活躍してきた折元が日本国内で本格的に認知度を高めていくのは、地元・川崎で大規模個展を開催した2000年代以降、つまり作家がすでにキャリアを重ねた比較的近年の話になるからだ。
本書は長きにわたって折元の活動を見守ってきた、川崎市市民ミュージアムの元学芸員の著者による評伝である。その資料的価値は、若き日の折元の知られざる活動を克明に記録した点にまず表れている。1969年に20代前半の若さで渡米した折元は、欧米のパフォーマンス・アートが隆盛する土壌のなかで「パン人間」の実演を繰り返し、現地の人々の反応をフィードバックしながら作品をものにしていった。なかでも渡米先でフルクサスのメンバーの知己を得たことは、パフォーマンス・アーティストとしての折元の方向性に大きな影響を与えたようだ。
海外での華々しい活躍や交遊録は、折元を同時代の欧米現代美術との関連性において位置づけ直す美術史的な視座をもたらす。だが、やはり際立つのは折元の異邦人としての立ち位置であり、泥臭さを湛えた「異物」としての身体性だろう。しかも、折元には国際的に活躍するアーティストであると同時に、日々の介護生活で奮闘する一市民でもあるという二重性がある。この二重性を体現するのが、「パン人間」そして「アート・ママ」という2つの代表的シリーズだったわけだが、その両方に通底するのが「他者とのコミュニケーション」という普遍的テーマであることは見過ごせない。2つのシリーズを分けるのは、コミュニケーションのベクトルが「外=社会」へ向かうか、あるいは「内=家庭」へ向かうかの違いにすぎないのかもしれない。そして全作品を総合的にとらえるとき、「美術」から「社会」、もしくは「生活」へと浸出する折元作品の拡張性があらためて見えてくるのだ。
評伝の素材になったのは、著者が約1年間毎週のように折元を訪ねて実施した聞き取り調査だという。ひとりのアーティストの仕事が広く知られ認められる背景に、良き理解者の存在があることを忘れずにおきたい。
(『美術手帖』2024年7月号、「BOOK」より)