菅井汲とは何者だったのか。20世紀美術史研究・速水豊に聞く【3/3ページ】

菅井が追い求めた美学「カドミウム・レッド」へ

──1980年代後半から晩年にかけての展開についてもお聞かせください。

速水 菅井には「本当はまったく同じ絵だけを描いて個展をやりたい」「無駄を徹底的に削ぎ落としたい」という極端な美学がありました。1970年代以降の「VARIATION」や「フェスティバル」といった、同じ基本形を反復するシリーズにその思想が表れています。

 画業の後半は、そういった明確なルールをもったシリーズ作品が増えていきます。1987〜91年の「S」シリーズでは、縦長の同一フレーム内に「S字フォルム」を配し、色や質感にバリエーションを加えました。これは当時のニュー・ペインティング(新表現主義)の潮流とも連動したものとも考えられ、周囲からは高く評価されました。しかし菅井本人は納得がいかず、「色とマチエールにバリエーションをもたせてしまった。比較的多くの人が良いといってくれたので、余計に全部同じものをつくるべきだったと思いを強くしています」と反省したのです。

菅井汲《Rouge de Cadmium11. 12(カドミウム・レッド11. 12)》(1992)キャンバスにアクリル絵具 250×264cm 広島県立美術館

 そして、その強い反省から生まれたのが、最晩年の傑作「カドミウム・レッド」のシリーズです。色彩を赤・黒・白の3色だけに絞り込み、変化を徹底的に排除することで、圧巻の存在感と強度を突きつけました。菅井の画業における「到達点」と言えるでしょう。

 かつて建築家の原広司との対談で、菅井は「自分の絵画は意味をもたない記号であり、意味のない記号によって他者(鑑賞者)と関係を結びたい」と語りました(*7)。また「将来、絵画は機能をもつべきだ」「その機能がなんなのかはわからないが、未来の人たちがそれを与えてくれるだろう」「何百年も先に生きる人々にもパッと一目で受け止められるような作品をつくっている」という趣旨の発言もしています。菅井の独特な絵画観を表すエピソードですね。

 版画制作においても、限定部数で高値を付ける美術市場のやり方に反対し、「駅の売店で売る本のように、何千部も刷って誰もが気軽にアートを所有できるようにすべきだ」と主張していました(*8)。菅井はつねに、美術を広く社会や未来へと開こうとしていたのです。

いま、菅井汲の作品と対峙する意味とは

──没後30年を迎えるいま、私たちが菅井汲の作品と向かい合う意味とはなんでしょうか。

速水 菅井汲は、画集や印刷物で見るのと、実物を見るのとで、もっとも作品の印象が変わる画家のひとりです。とくに画業後半期の大作は、遠くから眺めても、至近距離で細部を凝視しても、完璧に塗り込められた色面と寸分の狂いもない線によって得られる情報量がまったく変わらないという、特異な強度をもっています。

 微妙な筆のタッチに、画家の生々しい息遣いや感情の痕跡を味わうような絵画鑑賞とは正反対の、圧倒的な「正面性」と「フォルムの強さ」。大画面作品を展示空間のなかで身体全体を使って体験することこそが、菅井作品の本当の醍醐味と言えるでしょう。

 これほどの規模で作品が一堂に会する機会は非常に貴重です。いま、この時代だからこそ、ぜひ会場でその「実物」の強度を体験していただきたいですね。

*7──原広司vs菅井汲(対談)「一億人から離れてたつ」『一億人から離れてたつ 異貌の画家 菅井汲の世界』現代企画室、1982年、76頁。
*8──「菅井汲/東京閑談抄 いずれ、日本に帰りたい」『プリントアート』12号、1973年7月号、8-13頁など。

編集部