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上野公園で戦争と向き合う。椹木野衣評「想起の力で未来を:メタル・サイレンス 2019」

上野の旧博物館動物園駅で開催された「想起の力で未来を:メタル・サイレンス 2019」。クリスティーナ・ルカスとフェルナンド・サンチェス・カスティーリョのスペイン出身の作家2名が、上野公園という地で示した戦争との向き合いかたを椹木野衣がレビューする。

文=椹木野衣

クリスティーナ・ルカス《Unending Lightning(終わりえぬ閃光)》(2015)の展示風景

公園のなかの戦争

 美術に関わる者にとって、上野はひときわ縁が深い。時には公園を抜けて講評やシンポジウムのため、東京藝術大学方面に向かうこともある。そんな折、東京都美術館の脇を抜けて木立ちをくぐり道に出るたび、必ず目にするのが今回の会場、旧博物館動物園駅だ。旧と付くのは駅としては廃止されていて、それでも取り壊しにならないのは鉄道施設として初めて、東京都選定歴史的建造物に選ばれているからだ。

 そんな貴重な場所が年に一度、展覧会場というかたちで公開されている。今回取り上げる展示はその貴重な機会だ。ここでクリスティーナ・ルカスは、近代の戦争で空爆が最初に行われたとされる1911年から現在まで、民間人による犠牲者の数と様相、そしてその規模を視覚化している。全体にブルーを基調とする画面は左が場所、攻撃主体(国など)、犠牲者ほか、中央が世界地図と攻撃地点、爆撃の大きさ(丸いドットで示され、大きさは爆撃の規模に比例しており、焼け焦げたような黒い面として累積されていく)、右ではこれらの爆撃にまつわる静止画像(攻撃する側の空爆機、作戦室の様子や攻撃される側の被害など)を映し出す。さらにルカスは今回の日本での展示にあたり、旧駅舎の地下では、いまも電車が通り過ぎる轟音が闇から響いてくることや、空襲を避けて人々(ホームレス?) がこもったのも地下だったことに着想を得ている。空爆の世界史でもひときわ大きな意味を持つ東京大空襲、広島・長崎への原爆の投下をはじめとする第二次世界大戦での日本への空襲の実態を、東京大空襲・戦災資料センターの協力を得て、新たに再調査し反映する徹底ぶりだ。

クリスティーナ・ルカス《Unending Lightning(終わりえぬ閃光)》(2015)の展示風景

 もっとも、実際に本作の凄みを体感するには相当の時間を要する。空爆の様子は時系列に沿って3部に分かれ、それぞれの時期にふさわしい色調や図表に切り替えられて進行する(第1部=1911〜45年、第2部= 1945〜89年、第3部=1989〜2019年)。そのすべてを見ようとすれば、ゆうに6時間は超える。私は入館と同時に入場し、最後までそのほぼ一部始終(ほぼと言うのは入場した時点で映像は始まっていたので本当の最初は見られていない)を立って周囲を歩きながら目撃した。そうしないと彼女が提供したい空爆の歴史を体感したことにならないと考え、またそうする義務に近いもの(いまでは空爆される側ではなく空爆された結果、空爆する側の論理のもとに反転・庇護されている)自分にはあるように感じたからだが、充分に見合うものだった。

 まず、空爆にまつわる教科書的な先入見が一掃された。私たちは日頃、客観的に編纂された文字情報や、逆に物語化された映画などを通じて空爆を理解したつもりになっている。だが、実際の空爆は本来、そのような整頓や劇化を許さない次元で行われている。ルカスは対照的に、本来は共存するのが難しい3つの異なる尺度から同時に空爆の情報やイメージを提供し、空爆の歴史を立体化・錯綜化(キュビスム?)してみせる。その結果、ある時期にどの場所が集中的に空爆されていたのかについて、自分の知識がいかに誤ったものであったかが鮮明になった。例えばルカスの母国、スペインでの内戦の際にナチスによって行われたゲルニカへの空爆は、ピカソ(キュビスム)の絵によってひときわ名高い。だが、私は今回、ルカスの作品によって初めて、その規模を知ることができた。同様に日本全国への空爆(「空襲」と呼んでいるが歴史上は「空爆」だ)、「ヒロシマ・ナガサキ」がほかの空爆と比してどの程度のもの(じつは異常なほど甚大なのだ)だったのか、朝鮮戦争への空爆がどれくらい熾烈かつ過酷であったか、ベトナム戦争の空爆が驚くほど長期にわたって殲滅的であった惨状について、改めて理解し直すことを迫られた。

 他方、冷戦が終わって世界が「グローバル」化し、「対テロ戦争」という、目視も届かない上空から「テロリスト」が潜伏する地点を最新の兵器で一方的に攻撃し、これに対し先進国の市街地で自爆や車による突入などの肉弾テロで応酬される現在、そこには国家対国家による宣戦布告も降伏調印もない。いきおい空爆には始まりも終わりもなくなり、ルカスの映像でも、ただひたすら攻撃された土地が黒く塗り重ねられていくだけだ。本作でも、もっとも集中力を保って見続けるのが難しいのが、この終盤=現在である。同時に、攻撃する側は以前よりもはるかにテクノロジーの恩恵を受け、無人化し、ますます安全になっていく。他方、彼らの想像も及ばない遠い地上では、人々が受ける肉体的な損傷はどんどん苛烈なものとなっていく。この非対称性を「想起」できなければ、私たちに「未来」はない。

 最後に付け加えておかなければならないのは、これらの空爆の歴史を通じ、北米の地図が映し出される場面がほとんどないことだ。これに対し、左面で提供される攻撃の主体は圧倒的にアメリカの作戦によるものが多い。例外は2001年の「9.11=アメリカ同時多発テロ事件」で、その爆撃の規模は空爆の歴史を通じ、決して大きいものとは言えない。しかしその直後からアフガニスタンを皮切りに始まる「対テロ戦争」を口実とする空爆がいかに容赦なく、また長期に及んでいる か。私たちは知識や「正義」ではなく、このような機会を通じて視覚的にも知らなければならない。

 ルカスに多くを費やしてしまったが、カスティーリョの作品も戦争、その主体としてのアメリカに深く関わっている。駅舎から入ってすぐのホールに立てられ、樹をかたどったブロンズ彫刻は、一見しては地味だが、たいへん雄弁だ。上野公園には1879年にアメリカ大統領経験者として初めて訪日したグラント将軍を記念する夫妻の手による植樹がある。将軍はアメリカ南北戦争の英雄で、明治天皇と会って秘密裏に戦争の手ほどき(タイトルの「テューター」?)をしたと言われる(日本が初めての国家間近代戦争、日清戦争に勝つのは16年後だ)。だが将軍による植樹は現在、衰えて逆に処置(手ほどき)を受けている。記念樹は永続性を祈って植えられるが、皮肉な結果だ。生きている樹だから衰えるのなら、いっそ処置よりもブロンズ彫刻にしてはどうか。そもそも会場の駅舎が老朽化後も残されたのは、ここがかつて御領地で、御前会議での昭和天皇の勅裁を受けた結果、荘厳な装飾を施されたからにほかならない。戦争の昭和を生きた昭和天皇の痕跡は、ルカスの画像にも凄惨な黒点として刻まれている。カスティーリョの作品には、そんな「皮肉の皮肉」が感じられる。それで言えば上野公園自体が、かつて戊辰戦争の戦場であり、その勝利を記念する公園、いわばモニュメントではなかったか。だからこそ公園には戦争の勇者のブロンズ彫刻が立てられる。上野の「西郷さん」 はその象徴だ。だが、カスティーリョの樹が設置されたホールから上野公園側を見返すと、折ごとに見えるのはホームレスのための民間の炊き出しだ。グラント将軍の衰えた樹を公金で処置するよりも、いま本当にしなければならないことはなんなのか。そういえば、上野公園のある台東区が台風19号のために開設した避難所がホームレスの受け入れを拒否したことが話題になったのは、本展の始まる直前だった。カスティーリョのブロンズ彫刻は、そんなことも「見越し」ていたのではあるまいか。

フェルナンド・サンチェス・カスティーリョ《Tutor》(2019)の展示風景
旧博物館動物園駅外観 画像提供=京成電鉄

*付記 カスティーリョの作品については、多摩美術大学で私が開いているゼミナールでの、履修生と本作をめぐる議論に多くを負っている。

『美術手帖』2020年2月号「REVIEWS」より)

編集部

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