眼の中の水
上階へ上がると、海への散歩はより内面的な経験へと変わり、風景が少しずつ重力を失いはじめる。《boundary》(2023)では人の顔は水面に映り込む形で上下反転し、その鼻先に小さなカエルがちょこんと乗っている。夜の樹々の下を歩く人物を描いた《midnight》(2020)では、闇の奥行きが水の深さにも見えてくる。海辺の風景が繰り返された最初の空間に対し、ここでは世界そのものが液体のなかへ沈み込んでいく。

その延長線上、自然光が差し込む中央の吹き抜けに据えられたのが、本展最大の新作《Overground》(2026)だ。高さ3メートルを超える画面の起点は、家族の古い写真のなかに見つけた、撮影者も場所も不明の一枚。俯瞰された都市には無数の家屋がひしめき、西村が「ふと熱中してしまった」と言う通り、細部が描き込まれている。屋根や窓が水彩のように透ける色で塗られ、最上階から見下ろすと、ダムの底に沈んだ街のようにも見える。傍らの小さな絵では、サッカー場のゴールネットが揺れ、季節外れのセミが鳴いている。

本展の図録に寄稿した美術史家エステル・ジョン・マンギュアルは、西村作品に満ちるこの「水気」の源を、画面ではなく見る者の眼の側に求める。およそ5億年前に海で生まれた眼は、陸に上がったあとも乾いてしまわないよう、自らのうちに小さな海を保ってきた。眼球内を満たす房水をその名残と捉え、西村の絵を見ることは水中で目を開けることに似ていると書く。だが人の眼は、もはや水中で像をはっきり結べない。にじみ、ときに二重になり、輪郭が溶けていく像は、幻想や夢というより、記憶の底から浮かび上がってくる像に近い。

西村は、乾きの遅い油彩と、水で溶けば素早く乾き、素描に近い速度で描けるテンペラを使い分け、ときに一枚の画面で併用する。その画面には、具体的に描き込んだ上を刷毛でなぞって像を揺らがせた部分と、その上から細い筆で輪郭を描き起こした部分がしばしば共存する。さらによく見ると、薄め方の異なる層が、像が現れるにつれてすでにあるかたちを少しずつ覆っていったことがわかる。西村は自らの制作過程を、波が引いたあとの砂浜に残るかたちや、砂に染み込む海水になぞらえた。波が消した図像の上に、指でまた何かを描くように。画面に残り続けるこうした運動の余韻こそが、存在そのものとしての「海」なのだろう。




















