戦後の福島、核の「平和利用」と宗教。誰が「光」を照らすのか
展示の終盤で取り上げられるのは、戦後から冷戦期にかけて形成された、核の平和利用と軍事利用をめぐる言説だ。1953年、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー大統領(1890〜1969)は、国連総会で「平和のための原子力(Atoms for Peace)」と題する演説を行った。原子力の平和利用を提唱する一方で、核兵器による抑止を前提とする冷戦下の安全保障体制も形成されていった。藤井の新作は、こうした核をめぐる政治的、社会的、宗教的な言説を取り上げる。

《沿岸部風景記録(米軍) 福島県双葉郡 1947年》(2026)では、1947年に米軍が撮影した福島県双葉郡の沿岸部の風景が取り上げられる。写真の中央に写るのは旧陸軍飛行場の跡地であり、現在の福島第一原子力発電所が建つ場所だ。会場では、この記録写真がライトボックスを用いて提示される。電気を使用する展示形式そのものを通じて、藤井は「平和のための原子力」という言説によって見えにくくなってきた軍事利用とのつながりや、原子力発電の恩恵の背後で、特定の土地や人々が引き受けてきた犠牲の構造へと目を向ける。

同じく青い照明に包まれた空間には、アルベルト・ジャコメッティ(1901〜66)の《ディエゴの胸像》(1954〜55)も展示されている。国家や歴史、宗教といった大きな物語が展開されるなかで、この彫刻はひとりの人間の存在へと視点を戻すものとして位置づけられている。作家ジャン・ジュネ(1910〜86)はジャコメッティの彫刻に個人の孤独や脆さを見出したという。ここでは芸術の、個人間の心象をつなげる可能性が示されている。

さらに、本展のために制作された《神学者と、その声》(2026)は、57分に及ぶインスタレーション作品。アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー(1892〜1971)の思想を参照して構成された仮想の人物と、その声を生成するAIとの対話を軸にした作品だ。キリスト教リアリズムの神学と、戦後日本や冷戦期の核抑止をめぐる歴史を交差させながら、原爆投下や核武装、安全保障などを正当化してきた政治的、宗教的な語りを問い直す。
古代ギリシアの民主主義から宗教改革、植民地主義、戦争、そして核をめぐる問題へ。異なる時代の美術作品や歴史資料を通じて構成された本展は、「何が真理として照らされてきたのか」という問いを、「誰がそれを照らしてきたのか」という問いへと転換させる。その視線は、歴史の何が記録されず、何が語られてこなかったのかという問題だけでなく、そうした記録や語りを選別し、つくり出してきた主体へと向けられている。



















