川や綱、蛇のように──旧フランス国鉄技術センター「レ・グラン・ロコ」
リヨン南部、ローヌ川沿いに広がる旧フランス国有鉄道の技術センターは、19世紀にできた広大な「産業(industrial)」遺構だ。前回からビエンナーレの会場に加わったが、冬の温度管理の難しさもあり、今回は展開スペースや会期を縮小している。いっぽうで、この空間を生かした展示には、ヴェネチア・ビエンナーレなど大規模国際展を見慣れた人にも新鮮なスケール感がある。ここでは素材や労働が生産・流通するだけでなく、集められ、再構成されるなかで、何が価値を持つのかが問い直される。
ジョエル・アンドリアノメアリソアは、マダガスカル語のタイトルをもつ《Tady Mitady Tadidy (the rope in search of its own memory)》(2026)で、これまで作家が関わってきた土地や人々から譲り受けた糸や紐、布の端材を束ね、つないだ。総延長は44キロメートル。異なる場所から集まった素材は国や地域を隔てるのではなく、人や土地をつなぐ巨大な滝となって天井から吊るされている。ちなみに同作家は今年、デュシャン賞にもノミネートされている。

その奥で、4000本以上のか細いナイロン糸が、川面の写真を立体的に持ち上げ、光を反射している。ミゲル・ロスチャイルドの《Río de la Plata》(2026)は、アルゼンチンとウルグアイのあいだを流れるラプラタ川を、政治と物質のアーカイブとして捉える。独裁政権下に人々が飛行機から投げ落とされた記憶と、現在の工業汚染が重なる川。その表面の軽さが、かえって悲劇の重さを感じさせる。
カンドラニ・ユリスの《Placing Bets Beyond the Line of Faith》(2026)は、数百枚のヒジャブとハンガーで、全長9メートルの蛇行する構造体をつくる。ジャワの「ナーガ」に着想を得つつ、ヒジャブ市場の拡大と女性の社会的立場の対比を示し、現代インドネシアでの宗教、ジェンダー、社会規範の交差に挑む。

市場と宗教、教育もまた、切り離せないものとして絡み合っている。マイケル・スティーヴンソンは、3つの「教室」を実寸大インスタレーションで再構成する。福音派神学校、スタンフォード大学での起業家向けの講座、そして2008年の世界金融危機後の政治と経済をめぐる空間。それぞれの場で、アイデアが政策へ、信念がガバナンスへと移行していく過程を追う。また、ビエンナーレの各会場では、フィリウの実践に基づく複数のソファが設置され、会期中の意見交換の場になる。
花咲くベッドで見る夢
これらの会場をめぐると、「価値」は最初から決められたものではなく、人や土地、物のあいだを渡りながらかたちを変えていくことが見えてくる。何を残し、何を受け継ぎ、誰が誰を支えるのか。その選択の積み重ねが、私たちの世界をつくっている。
「レ・グラン・ロコ」の所々に置かれた貨物用コンテナの中で、本ビエンナーレに参加する唯一の日本人アーティスト、谷内恒子(1946〜2026)の《Micro-Event No. 41 / Flower Bed》(2011)が見られる。長年拠点としていたパリのニュイ・ブランシュで発表された作品で、草間彌生の《My Flower Bed》(1962)へのオマージュとして、花で覆われたベッドに横たわり、電子音楽の子守歌を聴く一晩のパフォーマンスを映像に残したものだ。親密で気怠い表情には、孤独や不眠のストレスも感じられる。
奇しくも草間も谷内も、今年永眠した。眠りは、何かを生産する行為ではない。それでも、身体を休め、記憶や経験をもとに夢を見、また目覚めるために必要な時間だ。そう考えると、「経済」は生産や交換だけではなく、誰かに身を預け、何かを受け取り、次の時間へ渡していくことまで含むのかもしれない。「経済」とは、夢の先へ価値を持続させていく発明なのだから。



















