韓国・ソウルの金融街、汝矣島。漢江沿いに立つ63ビルの低層部に、6月4日、「ポンピドゥ・センター・ハンファ」が開館した。
同館は、フランスのポンピドゥ・センターとハンファ文化財団が2023年に締結した4年間のパートナーシップに基づくもの。建物は4層、延床面積は1万平方メートルを超え、かつて水族館として使われていた既存施設を改修した。今後4年間、ポンピドゥ・センターの近現代美術コレクションをもとにした展覧会を年間2回開催。各展は韓仏のキュレーターによって共同で企画され、約1500平方メートルの2つの展示室を使って展開される。また、韓国の現代美術や国際的な美術動向を扱う展覧会、教育プログラムなども予定されている。
その最初の展覧会となるのが、「The Cubists: Inventing Modern Vision」だ。1907年から1927年まで約20年間にわたるキュビスムの展開を、ポンピドゥ・センターのコレクションを中心に紹介するとともに、韓国独自のセクション「KOREA FOCUS」を設け、20世紀前半の韓国におけるモダニズムと前衛芸術の受容にも目を向ける。会期は6月4日~10月4日。

63ビルの足元を包む「光の箱」
建築設計を手がけたのは、フランスの建築家ジャン=ミシェル・ヴィルモット率いるWilmotte & Associés。既存の構造を活用しながら、63ビルの垂直性とは対照的に、水平方向へ伸びる「Band of Light(光の帯)」として低層部を再構成した。

建築のコンセプトは、「Box of Light(光の箱)」。半透明のガラスで覆われたファサードを通して、昼間は自然光が内部へ入り、夜には建物内部の光が外部へと透過する。ポンピドゥ・センターによれば、二重ガラスの外装には韓国の伝統的な瓦屋根の曲線が参照されている。
地上階の中央ホールには吹き抜けが設けられ、上部の開口から自然光が入る。視線の先には上階の屋外彫刻庭園があり、63ビルと美術館をつなぐ動線として設計されている。外部、ロビー、展示空間、庭園が完全に分断されるのではなく、光と視線によって連続する構成だ。

館内には展示室のほか、教育スペースやミュージアムショップも設けられている。ショップではポンピドゥ・センター関連の書籍やグッズをはじめ、デザインプロダクトなどを扱う。
ひとつの様式に閉じないキュビズムの20年
開館展「The Cubists: Inventing Modern Vision」は、パリを中心に1907年頃から展開したキュビスムを、その成立から1920年代まで時系列にたどるものだ。出品作家は、ポンピドゥ・センターのコレクションから43名、「KOREA FOCUS」から11名。2つの展示室を使い、キュビスムが絵画上の造形実験として始まりながら、複数の作家、媒体、地域へと広がっていった過程を示す。

展示は、ポール・セザンヌ(1839〜1906)や、パブロ・ピカソ(1881〜1973)、ジョルジュ・ブラック(1882〜1963)らによるキュビズム初期の実践から始まる。その後、分析的キュビスム、コラージュやパピエ・コレの導入、サロンを通じた広がり、第一次世界大戦による断絶、そして1920年代における展開へと進んでいく。
会場には、ロベール・ドローネー《パリの街》(1910〜12)、フランシス・ピカビア《UDNIE(若いアメリカ娘)》(1913)、フアン・グリス《朝食》(1915)、フェルナン・レジェ《曳船の橋》(1920)などが並ぶ。

幅4メートルを超えるドローネー《パリの街》(1910〜12)では、エッフェル塔や都市の断片と「三美神」のモチーフがひとつの画面上に並置されている。キュビスム的な形態の分割を用いながら、都市の近代性と古典的な主題を重ねた作品だ。
絵画の外へ。彫刻、舞台、身体へと広がったキュビスム
展示では絵画だけでなく、彫刻や舞台芸術などへの展開にも焦点が当てられている。平面上で生まれた形態の分解と再構成は、やがて立体へ、さらに舞台や身体を含む領域へと広がっていった。

その一例が、パブロ・ピカソによる《「メルキュール」のための舞台幕》(1924)だ。エリック・サティ(1866〜1925)の音楽、レオニード・マシーン(1896〜1979)の振付によるバレエ「メルキュール」(1929)のために制作された舞台幕で、絵画と舞台芸術の接点を示す作品でもある。
第一次世界大戦は、キュビスムの展開にも大きな変化をもたらした。ブラックやフェルナン・レジェ(1881〜1955)らが徴兵され、各地へ散った一方、ピカソやフアン・グリス(1887〜1927)らは制作を継続。戦後になると、キュビスムは初期の急進的な実験から、古典主義やアール・デコ、純粋主義などと交差しながら変容していった。展示終盤では、ひとつの前衛運動として出発したキュビスムが、1920年代にはより広範な造形言語として共有されていった過程が示される。
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