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「内間安瑆・俊子展 色を織り、記憶を紡ぐ」(神奈川県立近代美術館 葉山)会場レポート。日米を舞台に深化を遂げた独自の美学
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第1章:40〜50年代

 本展は、安瑆と俊子それぞれの作品を3章ずつに分け、時系列に沿って紹介する構成だ。同一の空間に両者の作品を展開することで、時代ごとに2人の制作活動がどのような変遷を遂げたのか、その歩みを比較しながら辿ることができる。

 安瑆を紹介する第1章「版画との出会い一日本時代[1940-1959]」では、40年に来日した後に手がけた油彩画から、木版画の制作へと移行していく過程が紹介されている。

安瑆の第1章「版画との出会い一日本時代[1940-1959]」の展示風景

 早稲田大学専門部建築科の在学中から熊岡洋画研究所に通って油彩画を学んでいた安瑆は、50年代から団体展に抽象的な油彩作品を出品する。53年には第17回自由美術家協会展に出品した《親密なる会話》(1953)で初入選。本作は貴重な安瑆の初期油彩画のひとつだ。戦後、抽象画が隆盛するなか、安瑆も抽象表現を研究していたことがわかる。

 その後、54年に創作版画コレクターのオリヴァー・スタットラーによる日本人版画家への取材に通訳として同行したことが後押しとなり、本格的に木版画の制作を開始。同年、青原俊子と結婚する。

内間安瑆《祭太鼓》(1957)84.7×59cm 紙に多色木版 個人蔵

 木版画制作をはじめた50年代後半は、恩地孝四郎の影響を感じさせる抽象的な作風で、マルチブロック・プリント(多版材版画)の手法を試みる。55年4月に第23回日本版画協会展に出品し会員に推挙され、12月には養清堂画廊で初個展を開催、さらに翌年にはシェル美術賞3等を受賞するなど、国内での評価も高まる。57年には、棟方志功を思わせる黒く直線的な版を用いた作品群が登場。会場で紹介されている《祭太鼓》(1957)もそのひとつだ。

内間安瑆《五輪:空》(1959)39.7×84.2cm 紙に多色木版 個人蔵

 同年には第1回東京国際版画ビエンナーレ展へ招待出品し、国際的にもその活動が紹介された。58年頃からはさらに作風が展開し、豊かな色彩が用いられるようになる。59年の第5回サンパウロ・ビエンナーレでは《五輪:空》(1959)を含めた計10点を出品した。

俊子の第1章「デモクラート美術家協会の時代[1953-1956]」の展示風景

 俊子の第1章「デモクラート美術家協会の時代[1953-1956]」では、俊子が50年代前半に参加した「デモクラート美術家協会」での活動が紹介されている。機関誌『デモクラート』の表紙やカットを担当しながら、デモクラート展に出品を重ねるなど、積極的に活動に参加していた。この時期の俊子の作品は、豊かな色彩によって有機的形態を描いた抽象的なものが多い。同時期に手がけていた、童話集などの子供向けの書籍の口絵・挿絵にもその特徴が表れている。

『瀧口修造の詩による版画集 スフィンクス』(1954)に寄せられた版画作品。手前は、内間俊子《魚の欲望》(1954)16.2×15.7cm 紙に多色木版 個人蔵

 54年には、評論家の久保貞次郎からの依頼により版画集『スフィンクス』の制作に携わる。この版画集は、北川民次、瑛九、泉茂、加藤正、利根山光人、俊子の6名が瀧口修造の詩に1点ずつ作品を寄せたもので、このときに制作した木版画《魚の欲望》(1954)が俊子にとって最初の版画作品となる。ほか5名の作品はモノクロだが、俊子の作品のみ多色木版となっている点に注目したい。

編集部