第3章:80年代以降、関連作家の紹介
安瑆の第3章「色を織る一〈Forest Byobu森の屏風〉[1977-1982]」では、77年以降、安瑆が制作に用いた「色面織り」という独自の手法によって制作された作品が展開されている。この手法は、色面のモザイクで全体を構成し、色の対比によって奥行きや量感、光のトーンを表現するものだ。本手法を用いた最初の作品が《Light Mirror, Water Mirror》(1977)。この後79年に、自然に囲まれたニューヨーク北部郊外のシュラブ・オークにアトリエを構え、それ以降木々の間に見える光や、季節や天気によって異なる色彩のイメージを表現する「Forest Byobu(森の屏風)」シリーズが展開されていく。


この色面のなかに、82年頃から人体を登場させる試みをはじめる。しかしその最中、安瑆は脳卒中で倒れ、制作を断念することを余儀なくされた。会場には、制作が叶わなくなった試作段階の作品《Unfinished (Forest Fantasy)》(1982)も展示されている。
俊子の第3章「記憶を紡ぐーコラージュとアッサンブラージュ[1968-2000]」では、木版画から離れたのちに手がけたコラージュ作品が紹介されている。俊子のコラージュはふたつに大別できる。ひとつは紙やボードの上にポストカードや写真などを切り貼りし、周囲にパステルで描画を施した平面作品。もうひとつは、アンティークの玩具やオブジェなどを組み合わせて箱の中に配置した立体のコラージュ(ボックス・アッサンブラージュ)だ。

身近な素材を用いて制作されたこれらの作品群は、俊子が日常のなかで掴んだ感覚を表現するのに適した方法だったとも考えられる。《Anju Baby 1960》(1968〜70)は息子・安樹の写真を用いた作品だが、その周りに哺乳瓶のミニチュアや天使の切り抜きが配置され、子供への愛情が表現されていることが伝わってくる。ほかにも自作の短歌を表した《花冷えの宵》(1993)やストライプハウス美術館(現・ストライプハウスギャラリー)で開催された「内間安瑆・俊子二人展」の出品作である《幻想風景》(1993)など、多様な展開を見せるコラージュ作品が紹介されている。

安瑆が脳卒中で倒れた後、俊子は家事と介護をこなすことになったが、それでも制作をやめることはなく、つねに新作を発表し続けた。《His Palette》(1994)と《His Baren》(1989)は、安瑆の看病期間に制作されており、それぞれの作品には安瑆が実際に使っていたパレットやバレンが素材として用いられている。

本展では、「関連作家 一戦後日米の芸術家ネットワーク」と題されたセクションも設けられている。アメリカと日本を行き来したふたりは、日米のアーティストや文化人のネットワーク形成に様々な場面で尽力している。イサム・ノグチや長谷川三郎、棟方志功などもその関連作家の一部として挙げられるが、なかでも、猪熊弦一郎や、デモクラート美術家協会の泉茂や靉嘔、女流版画会の𠮷田千鶴子らとは家族ぐるみで交流を続けていたという。会場では、安瑆と俊子の旧蔵品を中心に、これら関連作家の作品が紹介され、当時の日米の美術交流の様子を垣間見ることができる。
戦後、日米を拠点に独自の活動を展開した内間安瑆と俊子。本展は、これまで十分に紹介されてこなかった両者の活動を包括的に再考する機会となっている。夫婦という関係にありながら、各々が独自の表現領域を確立していったその創造の軌跡を目の当たりにすることができるだろう。



















