建築家・篠原一男の傑作「上原曲り道の住宅」の内部を初公開

戦後日本建築を牽引した建築家のひとり、篠原一男の設計による「上原曲り道の住宅」が、篠原生誕100周年の節目に初公開された。その内部の様子をレポートする。

文・撮影=大橋ひな子(編集部)

1階の天井。コンクリートの巨大な柱が剥き出しになっている

 戦後日本の建築を牽引した建築家のひとりである篠原一男(1925〜2006)。その生誕100周年、没後20年の節目を記念して、篠原の設計による私邸「上原曲り道の住宅」が初公開された。

 篠原は1925年静岡生まれ。東京工業大学(現:東京科学大学)で建築家・清家清(1918〜2005)に学び、卒業後は同大学で教鞭をとりながら建築家としても多くの設計・デザインを手がけるプロフェッサーアーキテクトとして活躍。退職後は自邸兼アトリエ「ハウス イン ヨコハマ」(1985)に篠原アトリエを構え、設計と言説の発表を続けた。坂本一成、伊東豊雄、長谷川逸子に代表される「篠原スクール」と呼ばれる一群の建築家を輩出するなど、数多くの建築家にも影響を与えている。

 篠原は、「住宅は芸術である」という信念を創作の起点としながら、自身の作風の変化を1〜4までの「様式」で分類した。その「第3の様式」を表す代表作のひとつであり、竣工以来50年間にわたり個人の邸宅として守られてきた「上原曲り道の住宅」が、建設以来初めて公開された。施主は詩人・映像作家の鈴木志郎康(1935〜2022)。本住宅は、志郎康の妻の他界を経て現在住人はおらず、活用方法も定まっていないという。

「上原曲り道の住宅」の外観

 本住宅は、地下1〜2階の全3階建て構造となっている。天井高のある1階はリビングとして使われていた。天井を見上げると、圧倒的な存在感を放つ巨大なコンクリートでできた柱が目に入る。それまで日本の伝統的な要素を含んだ住宅や、コンクリートでできた立方体を用いた住宅を手がけてきた篠原は、「第3の様式」で、都市が持つ特徴の断片を小規模の住宅に落とし込むことに挑戦した。剥き出しのコンクリートの柱は強い存在感を放ち、邸宅内に持ち込まれた都市の構造の異質さを感じられる。

1階の天井。コンクリートの巨大な柱が剥き出しになっている
1階の天井

 この空間にはあまり物が置かれることはなく、訪問客とともに食事をとったり、大きな白い壁面に映像を投影して上映会を行うこともあったという。同じフロアにはキッチンもあり、志郎康と交流のあった詩人・谷川俊太郎らとの写真も紹介されている。

キッチン

 キッチンを抜けるとバスルームが設置されているが、ここには当初「青い部屋」と呼ばれる空間があった。志郎康の妻のアトリエとして使われていたが、のちに子供部屋となり、その後、バスルームになったという。