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「野村正治郎とジャポニスムの時代―着物を世界に広げた人物」(国立歴史民俗博物館)レポート。ジャポニスムにより残された着物文化の精華【4/4ページ】

万博出品:活動の集大成

 有数のコレクターとなった正治郎は、着物の保存・公開に一層注力する。研究が停滞気味の学会への不満は、まずは証拠と裂のような断片も重視し、「時代小袖雛形屛風」に具現化する。こうした努力は、1939年(昭和14)のゴールデン・ゲート万国博覧会で報われる。日本は古美術品の展示の一角で近世の着物を文化・美術として発信、正治郎のコレクションからも出品された。これからというときに、第二次世界大戦が勃発、太平洋戦争下の1943年に正治郎は63歳で没する。

エピローグ展示風景。時代小袖雛形屛風の展示
エピローグ展示風景
エピローグ展示風景。《菊水模様小袖》(重要文化財、17世紀、国立歴史民俗博物館 野村正治郎衣装コレクション)寛文小袖の典型を示す1振は、正治郎のお気に入りだったそうだ

コレクションのその後:関連展示 野村正治郎の後継者―賤男の活動

 正治郎の商売とコレクションは、娘婿で日系二世のアメリカ移民・賤男(しずお)に継承されるが、戦後、一家はアメリカに移住し、コレクションの主要な一群もアメリカに渡る。文化的重要性を理解しながらも日本では引き止める制度も体制も整っておらず、転機が訪れたのは文化局が設置された1966年だった。その後文化庁となった組織は、1971年に国立歴史民俗博物館(仮称)基本構想委員会を発足、正治郎コレクションの購入計画が持ち上がる。2年にわたる購入の実現により、コレクション640件のうち約570件が里帰りし、1983年の国立歴史民俗博物館開館を機に正式な所蔵品となっていまにいたる。

 第3展示室では、特集展示として、この賤男が義父を継ぐべく制作に関与したと思われる「小袖裂貼装屛風」とともに、正治郎亡き後のコレクションの歴史をたどる。

第3展示室特集展示「野村正治郎の後継者―賤男の活動」展示風景
第3展示室特集展示「野村正治郎の後継者―賤男の活動」展示風景

 世界に開いていった近代に、西洋人を相手にビジネスを発展させつつ、着物文化の保護、重要性の啓蒙、その意義を国内外に発信した野村正治郎。その柔軟な思考と確固たる信念は、グローバル化する社会に生きる私たちに、彼が遺してくれたすばらしい美と伝統とともになんらかの示唆を与えてくれるだろう。

編集部