商人としてのセンス:美術商としての活動―対外交流
正治郎のビジネスは、京都で刺繍を主とした染織品を扱っていた母・志ての商売を継承したものだ。ふたりの兄のうち次兄が最初に事業を継ぎ、分家して外国人向けに古物の染織品の貿易へと広げていく。
18歳でアメリカに留学し、イリノイ州の美術専門学校に学んだ正治郎は、1903年から事業に参画した。留学経験を活かし、西洋人へのきめ細やかな対応で信頼を得ていったようだ。扱う商品を着物へとシフトし、店構え、商標、ノベルティなどの工夫を凝らし、着物についての正しい知識をレクチャーすることもあったという。
第1章では、野村家のグループ企業的なあり方の変遷とともに、貿易商として協力を得た人々との関係、正治郎の事業の展開や海外オークションでの出品歴などを、多様な資料から見ていく。






















