収集家としての目利きと情熱:コレクターとしての活動―国内交流
美術商の生業のいっぽうで、正治郎は着物のコレクションを充実させていく。旧武家や貴族の経済的困窮から、大正時代を中心に美術品などを売買する入札会が盛行し、着物の流通も盛んだった。こうした背景のなかで、貴重な品の流出を憂いていたらしい彼は、西洋人には同時代(明治時代以降)の着物を売るように努めるなど、客の要望に応えつつも、古いものは手元に残したようだ。第2章では、正治郎の錚々たるコレクションの様相を追う。
西本願寺家由来の能装束の狩衣、大名家伝来の豪華な刺繍や絞りの振袖、酒井抱一や呉春といった著名な絵師による手描きの小袖など、いずれも職人の技術の粋を集めた優品に彼の眼の確かさを感じられるだろう。



風俗研究者・江馬務との出会いを機に研究にも意欲を持った正治郎は、江馬の主催する風俗研究会を援助し、友友禅の創始者とみなされていた宮崎友禅の顕彰に積極的に関わり、『友禅研究』を発表するなど、着物の重要性を啓発する活動に携わるようになる。
入手に際し婚礼式まで行ったというふたつの着物、アメリカの富豪・ロックフェラー2世が京都にとって重要な振袖であることを理解して購入をとどまったという《束熨斗模様振袖》、『友禅研究』の口絵に使用され、このたび再発見された《淀川風景模様振袖》など、エピソードとともに見ごたえたっぷりだ。


培われた学界や産業界、風俗史への視点は、晩年になるにつれ、文化および美術としての着物の重要性へと広がり、図版集の出版や展覧会への出品を通してコレクションを積極的に公開し、正治郎はコレクターとして知られるようになる。やがてそれは、恩師京都国立博物館(現・京都国立博物館)を着物専門の博物館に変える構想へとふくらんでいく。
図版集に掲載された《女郎花模様振袖》、博物館構想の試金石となる展覧会に出品された《格子絣模様振袖》は、戦後所在不明となっていたが近年再発見され、100年ぶりの公開となる。





















