後半では、1955年に53歳で没した書家・大澤竹胎(おおさわ・ちくたい)の8点を紹介。12歳上の兄・大澤雅休とともに、群馬県大類村柴崎(現・高崎市柴崎町)出身、前衛書の先駆けのひとりだ。2人とも前橋文学館との共催展「ヒツクリコ ガツクリコ」(2017)で紹介されている。
竹胎は、1938年に雅休が創設した書道結社「平原社」に参加。1947年、戦後西欧の芸術運動の影響を受け、新しい書芸術を目指した比田井天来の門人で「書道芸術院」が創設され、創立発起人に名を連ねる。1949年、日本民藝館で棟方志功と出会い、棟方が富山県福光に疎開中、雅休らと棟方を訪ね、合作も行った(筆者は、2021年、青森市の棟方志功記念館取材時にこのエピソードを伺った)。1992年に五島美術館で開催された展覧会の図録『大澤竹胎の書と板画』も参考に作品を紹介したい。

古典を題材とする書を脱し、現代の詩(ことば)を用いた斬新なスタイルを追求した竹胎。変体仮名を使わず、連綿をなくした現代のかなを追求した。詩人・草野心平の詩をモチーフとし、オノマトペを表現した板画《蛙「ぎやわろっ」》。文字の原形がわからないほどの滲みの表現《山かひの》。とりわけ研ぎ澄まされた線の《ふるさと》と《しゅうう》を出原館長は賞賛していた。《ふるさと》は、全紙1枚に「ふる」は曲線、別紙1枚に「さと」は直線で大書したもので、白い紙にわずかな墨で描いた絵画のようでもある。淡墨の《しゅうう》は、言葉のリズムや一字一字の造形が美しく、見えない空気までもが感じられる。さらに、刻字から彫刻への発展を示す、彫刻作品《屯》も展示。多面的な探究の中、兄の死後から2年後に病死した。現代書と現代美術の接点に立つ大澤兄弟の再評価が待たれる。


展示の最後は、1957年高崎市生まれ、前橋市在住の多胡宏(たご・ひろし)。1982年、独学でメゾチントの制作を開始。盲学校校長を経て、インクルーシブ アートにも尽力する。2024(令和6)年度購入作品《星の浮く風景:麦とトウモロコシ》は、幻想的でいて、不足する穀物生産と地球環境を暗喩する風景でもある。「コレクション+女性アーティスト、それぞれの世界」の「第3章 風景から環境」にも通ずる。




















