展示は第2会場へ続く。第3章「ゆかりの品は語る」では、閉ざされた大奥での生活のなかで、気丈に生きた歴代大奥のヒロインが取り上げられている。
例えば、三代将軍徳川家光の側室であり、のちの五代将軍綱吉を産み育てた人物である桂昌院(お玉の方)は、もとは京都の八百屋の娘だった。しかしあっという間に高い地位を得ることになり、そのさまが「玉の輿」という言葉の由来にもなっている。会場では桂昌院の紹介とともに、息子である綱吉所用とされる長裃(ながかみしも)も展示されている(前期のみ)。

また本章では、綱吉が側室である瑞春院にあてて、年中行事の祝い事にあわせた贈り物の上に掛けて送ったといわれている、重要文化財である奈良・興福院の刺繡掛袱紗全31枚が公開されている。色とりどりの袱紗には、これでもかというほどの祝言やめでたいモチーフが刺繍されている。前後期含めて31枚すべてを見ることができる稀有な機会だ。





















