古くより風光明媚な王朝貴族遊覧の地として愛されてきた京都西北に位置する嵯峨。平安時代初期、嵯峨天皇(786~842)がこの地に離宮・嵯峨院を造営し、空海(774~835)の勧めで持仏堂に五大明王像(現存せず)を安置し、その後、876年に皇女・正子内親王の願いにより寺に改められ、大覚寺が開創された。この大覚寺は2026年に開創1150年を迎えることになる。
この節目を前に、東京国立博物館で「開創1150年記念 特別展 旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」が開幕した。本展は大覚寺の優れた寺宝の数々を一挙に紹介するものであり、会場は4章で構成されている。
第1章「嵯峨天皇と空海―離宮嵯峨院から大覚寺へ」は、嵯峨院や初期の大覚寺の様子を示す寺宝を紹介するもの。なかでも圧巻は、ふたつの「五大明王像」1777)だろう。
五大明王は大威徳明王、軍荼利明王、不動明王、降三世明王、金剛夜叉明王からなるもの。京都・清涼寺の五大堂から伝わった《五大明王像》は、1501年に前者3体が仏師・院明によってつくられ、後者2体が江戸時代に再興されたものとされている。
もうひとつの《五大明王像》は大覚寺の本尊だ。これらは、平安時代後期の京都における上級貴族の仏像制作を担った円派(えんぱ)の仏師・明円によるもの。後白河上皇の御所で制作した天皇家ゆかりの作品であり、整った顔つきと柔らかな体つきに円派の伝統を見ることができる。