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「硲伊之助展」(アーティゾン美術館)開幕レポート。ひとりの人生に重ね見る西洋美術の受容史【2/5ページ】

 展覧会は4章構成。第1章「画家、硲 伊之助──油彩画、版画、挿絵の仕事」では、硲の画家としての側面を年代順に取り上げていく。

 1895年に現在の墨田区の裕福な家庭に生まれた。画家を志し、10代の頃より岸田劉生や高村光太郎が属したヒュウザン会展に出品するようになり、その後二科展でも入賞歴を重ねていく。《工事中の崖》(制作年不詳)は当時の作品と考えられるもので、崖や電柱といったモチーフと、写実的な描写は、ヒュウザン会の同人である岸田劉生からの影響を強く感じられる。

展示風景より、硲伊之助《工事中の崖》(制作年不詳)

 硲は20代半ばにはフランスへ渡り、より絵画を深く学ぶことになる。とくに硲が意識したのはヴァルール(色価)であり、対象を透視図法的遠近法ではなく色の階調や強弱でとらえる方法として実践を重ね、明るい色彩の絵画を描く。また、この頃の硲は、汽車で偶然アンリ・マティスと出会う。以来、マティスのこと生涯尊敬し、慕いつづけることになる。

展示風景より、硲伊之助《花つくりの家》(1934)

 この頃、春陽会に活動の場を移した硲は、小説の挿絵や装丁といった仕事も手がけるようになる。会場では新聞小説の挿絵カットや、硲の装丁が施された井伏鱒二の小説なども見ることができる。

展示風景より、硲伊之助による雑誌のためのカット

 やがて二科会を経て、1936年には有島生馬、安井曾太郎、木下孝則らとともに一水会を結成。文化学院や東京芸術大学で実技指導やデッサンを教えるようにもなっていく。

展示風景より、左が硲伊之助《黄八丈のI令嬢》(1946)

編集部

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