最後となる第4章「陶芸家、硲 伊之助──九谷吸坂窯での作陶」は、硲が50年代以降精力的に取り組んだ作陶について取り上げる。
50年代の硲は、民藝ばかりが注目され、日本古来の陶工たちのしごとが見過ごされていることに危機感を持つと、一水会のなかに陶芸部を設立。これは会の創立委員たちからの抵抗にあい、結果的に硲は一水会の絵画部を退会することとなる。
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硲は62年に、九谷焼発祥の地・加賀市に九谷吸坂窯を興した。この地で弟子たちとともに共同生活を行い、地道に作陶を続けていった。以後、亡くなるまで家は加賀市にあった。
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会場では師と仰ぐマティスを彷彿とさせるような、のびやかな絵柄の九谷の色絵皿が並ぶ。窯には多くの文化人も集ったといい、生涯にわたりあらゆる角度から文化に浸った、文化人・硲伊之助の姿をそこに見ることができるだろう。
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近現代日本の絵画史をひとりの人物を通してみる、文化が高い意識の人々によって受け継がれていた時代への憧憬が沸き起こるような展覧会だ。