第3章「巨匠たちとの交渉役──国内初のマティス展、ピカソ展、ブラック展」では、日本での西洋絵画の展覧会開催のために尽力した硲の姿に迫る。
1951年、戦後の混乱がようやく収まろうとする時代において、東京国立博物館でマティス展が開催された。114点もの作品が集まったこの大規模展は、硲がマティス本人との交渉の先鋒に立ったから実現できたものだ。大阪市立美術館、大原美術館と巡回した本展は大変な盛況であり、マティス自身も大いに喜んだそうだ。
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その後も硲は「ピカソ展」「ブラック展」「フィンセント・ファン・ゴッホ展」などの交渉にも尽力。カラー図版も希少であり、渡仏をはじめとした海外旅行など一部の限られた層のものだった50年代の日本において、実物の西洋絵画を目にする機会は、国内の芸術家に大きな影響を与えたことは想像に難くない。