エスパス ルイ・ヴィトン大阪で、アイザック・ジュリアンの個展「Ten Thousand Waves」が始まった。会期は9月22日まで。本展はフォンダシオン ルイ・ヴィトン(パリ)のコレクションを紹介する、「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムの一環として開催される。
アイザック・ジュリアンは、西インド諸島のセントルシア島からイギリスに移住した両親のもと、1960年にロンドンに生まれた。84年にセント・マーチンズ美術学校を卒業している。在学中の83年には、イギリスで広がっていたサッチャー政権による社会不安への応答として、マルティナ・アティールらとサンコファ・フィルム・アンド・ビデオ・コレクティブを共同設立。さらに91年には自らの映像プロダクションであるノーマル・フィルムズを設立し、同年に長編映画『ヤング・ソウル・レベルズ』がカンヌ国際映画祭批評家週間で受賞している。また、2001年には現代美術の権威であるターナー賞にノミネート。03年にはクンスト・フィルム・ビエンナーレで審査員大賞を受賞するなど、国際的に高い評価を得てきた。その活動によって、17年には大英帝国勲章コマンダー(CBE)を、22年にはナイトの称号を授与されている。
本展は、ジュリアンの大規模ヴィデオ・インスタレーション《Ten Thousand Waves》(2010)を日本で初めて公開するもの。同作は、役者、場所、時代が混ざりあうポリフォニーの中心に、強制的な移動と移民の問題が据えられている。
制作のきっかけは、2004年にイギリス北部で違法就労の中国人労働者23人が潮流に巻き込まれ命を落とした、モーカム湾の遭難事故。ジュリアンはこの事故のリサーチを行い、4年という長い歳月をかけて作品を編み上げた。事故の犠牲者に敬意を捧げた本作品では、ジュリアンが遭難事故への応答として詩人ワン・ピンに委託して制作された詩がこだまする。
来日したジュリアンは、「作品は14年前のものだが、そこで扱っている人々のグローバルな移動は、いまも変わらず大きな政治的課題だ。この作品では、そうした移動の問題を、アレゴリーと中国における航海・漁業の女神『媽祖(まそ)』の視点を通して眺めたいと考え、制作した」と話す。
作品は9スクリーンによる構成。鑑賞者は、労働者たちが亡くなった海の色を思わせる青い部屋の中を歩きながら作品を鑑賞することになる。ジュリアンが「ヴィデオ・アートの新しい見方をつくりたかった」と語るように、映像と音に囲まれることで、舞台の中にいるかのような没入感が生まれることだろう。
作品は中国映画やアジア映画にオマージュを捧げるものであり、その詩情が描かれている。作中にはマギー・チャンなど中華圏の著名な女優のほか、アーティストのヤン・フードン、書家のゴン・ファーゲンなどとともに、100名の中国人キャストが出演。海難事故を伝える記憶映像のようなものから、上海の映画スタジオ、上海の都市風景が折り重なり、媽祖の姿が印象的に挟まれる。作品には制作背景も盛り込まれており、神話が脱構築されている点も興味深い。
本作は2004年の出来事に端を発したものではあるが、決して時事的なもので終わるような作品ではない。止まることのないグローバル化や戦争によって、人の移動は政治的な課題であり続けている。「長い期間、鑑賞に耐えるものをつくりたかった」とジュリアンが語るように、本作はいまなお強い存在感を放つものだ。