ロシア宇宙主義の研究を背景に、宇宙と映画のアナロジーとして組まれた展覧会
第14回上海ビエンナーレの「Cosmos Cinema」というテーマを目にしたとき、少し驚いた。ここ数年、上海や北京で宇宙に関連したテーマの展覧会が開かれるのを断続的に目にしていたからだ。私自身も宇宙に関連したテーマの展覧会企画を過去3年で4本書いた(*1)。つまり、「皆同じようなことを考えるものだな」と思ったのだ。
同じようなこと──それは全世界的な気候変動とパンデミックを経験したことで、地球規模の、または地球を俯瞰するような視点を皆が求めているということではないだろうか。それに、年々検閲が厳しくなっている中国では、卑近でリアルな物事よりできるだけ抽象的で漠然としたもののほうが実現しやすい、という事情も関係しているように思う。本展のアーティスティック・ディレクターであるアントン・ヴィドクルは、10年以上「ロシア宇宙主義」(コズミスム、宇宙論とも表現される)を研究している人物なので、彼を選出した美術館側のメンタリティの反映なのかもしれない。
簡単におさらいすると、ロシア宇宙主義とは、19世紀後半から20世紀にかけてロシアで見られたひとつの思想的潮流である。進化する科学技術により人間は不老不死を手に入れ、すべての亡くなった人を復活させ、宇宙にも居住するようになるという考えがコアにある。明確な運動や主義主張としてあったものではなく、1980年代になってから研究者たちが過去に書籍や詩や芸術作品に表れた一群の思想を振り返るかたちで確立。その後のポストヒューマニズム、また加速主義などに影響を与えたとされる。現在、美術の文脈で再評価が進んでおり、ボリス・グロイスが2018年にアンソロジー『Russian Cosmism』を出版している(*2)。
やはりロシア宇宙主義に強い関心を寄せるアントン・ヴィドクルは、2018年に行われたインタビュー(*3)で、「宇宙主義は徹頭徹尾、倫理に基づいており、倫理抜きにはありえません。宇宙主義に関して西側でよくみられる誤解なのですが、そこで問題になっているのは自分自身の不死ではなく、他者のための、他者とともに不死となり復活することなのです。祖先や両親、子供、愛する者たちの。それはきわめて集団的かつ共同的で、『ソボールノスチ(精神的一体感などと訳される言葉、筆者注)』のようなロシアの精神的理念にもとづいています」と話している。また現在の倫理を欠いた科学技術の進展を懸念し、権力や環境の未来をロシア宇宙主義の理念によって別の方向から想像してみることが必要だと述べる。彼は2017年に映像作品《ロシア宇宙主義》三部作を発表しているが、本展に際し、「展覧会のかたちで考えを表明したいと思い続けていて、今回それを実現することができて本当に信じられないくらいだ」と話した(*4)。
ロシア宇宙主義と同時代の美術の関わり合いも興味深いトピックではあるが、上海ビエンナーレに話を戻そう。そのテーマ「Cosmos Cinema」において特徴的なのが、宇宙と映画は同じだ、という考えである。
ギリシャ語のコスモス(κόσμος)は、宇宙というだけではなく、美と調和を意味し、中国語の宇宙(yuzhou)は無限の時間と空間を意味し、映画的であることと強く響き合っている。(プレスリリースより、筆者訳)
同じくプレスリリースのなか、アレクサンダー・クルーゲの論文から引用された、「宇宙は映画の原型であり、そこには過去のすべての出来事が目に見える“光の軌跡”として保存されている」(筆者訳)という言葉も印象的だ。暗闇の中の、時間の集積としての光。ある限定された方向から観察された世界。想像から現象まで、様々な事象を容れることができる器。こういった意味をもつ、ふたつのレベルの異なる概念が入れ子状になって全体を構成する。さらに会場全体すらも宇宙と映画のアナロジーになっており、仄暗い空間に浮かぶ星々の間を移動していくように作品群の配置と光量が計算されていた。
このビエンナーレでは、ロシア宇宙主義がそうであったように、哲学、宗教、自然科学、文学が混ざり合い、神話や民俗、医療やエンジニアリング、環境や倫理など多岐にわたるテーマやモチーフが語られた。
展覧会はトレヴァー・パグレンの作品から始まる。《Prototype for a Nonfunctional Satellite (Design 4; Build 4)》《Orbital Reflector (Scale Model)》《Orbital Reflector (Triangle Variation #4) Scale Model》(いずれも2015-18)は、パグレンが実際に宇宙空間に送り出した作品の試作品または模型である。宇宙空間に浮かぶ反射体となるはずだった作品は、アメリカ政府内の揉め事に起因したNASAの一時的機能停止により作品のかたちになることがなかったが、そのエピソードも含めて想像と現実をつなぐ具体的な装置としての美術作品を象徴していた。
同じフロアには施慧(シー・フイ)《もののあわれ》(2014-15)が展示されている。ファイバーアートの作品だが、農具や団扇やキーボードなどが埋め込まれた白っぽい物体は、月面の足跡のように、人類の痕跡を残した遠い未来の星の様子を思わせる。
このように、まず前面に出てくるのが展覧会テーマからダイレクトにつながってくるような作品群だ。ほかにも例えば、ほかの惑星に着陸するユニットのように見える彫刻作品、エリカ・ヴェリッカの《222.3》(2023)がある。この作品にはまた、ロシア宇宙主義の視点から、科学が進展して不老不死を手にした場合、女性の社会的役割はどう変わるか?といったフェミニズム的な投げかけが隠されているという。
シカゴ郊外でピクニックをする男女をとらえたカメラが、10の0乗メートルから24乗メートルまで、そして皮膚の中、10のマイナス16乗メートルまで旅するチャールズ&レイ・イームズの名作《Powers of Ten》(1977)と、同じモチーフのアニメーション作品(こちらはボートを漕ぐ男の子の体内にまず入っていく)エヴァ・サズ《Cosmic Zoom》(1968)も展示され、宇宙というテーマを鑑賞者にわかりやすく伝える。
また強く心を揺さぶるのが、会場となる上海当代芸術博物館の煙突に設置された本展コミッションワーク、ヨナス・スタールの《Exo-Ecologies》(2023)である。このロケットの模型のような造形物には、人類が宇宙にいくまでのあいだ、実験に使われた犬や猿やねずみたちの肖像が掲げられていた。ほかの惑星にも住むようになる前に、まず私たちは地球の仲間の貢献を認識し、連帯を示す必要があるのではないか、そのうえで平等主義に基づいて地球外生命に出会うべきではないか、と主張しているのである。
宇宙というよりは地球のほうにフォーカスした作品群もある。例えば賀子珂(へ・ズークー)の《Random Access》(2023)は、世界最大の電波望遠鏡がある貴陽市を舞台に、データセンターがクラッシュした状況下、元タクシー運転手と乗客が、カーナビ普及以前の知識や太古の地形を思い出しながら街とその周辺をめぐるSF仕立ての映像作品だ。
あるいは、サオダット・イズマイロボ《Two Horizons》(2022)は、ユーラシア大草原の神話に登場するシャーマン、コルクトが、不死を得るためには重力を克服しなければならないと固く信じていた、という言い伝えと、人類初の有人飛行を行ったボストーク1号が発射されたカザフスタンのバイコヌール宇宙基地周辺の大草原の情景を、上下2チャンネルの映像として重ね合わせている。
ワヌリ・カヒウとクリスチャン・ニャンペタの《Pumzi》(2009)は、カヒウが脚本・監督したケニアのSF映画『Pumzi』の拡張インスタレーションだった。水が非常に貴重になった未来を描いたこの世界で、主人公は植物を救うために命を賭した行動を起こす。この映画の舞台に生えていた枯れ木が展覧会場に設置されており、環境破壊の現実を見せつける。
ロシア宇宙主義研究を背景にして展示された作品群もあった。そのひとつの例がアンナ・アンドリーヴァの作品である。アンナ・アンドリーヴァは近年見出されたアーティストで(2008年に亡くなっている)、彼女の宇宙や天体からインスピレーションを受けて制作されたテキスタイル作品が複数展示された。彼女の手書きの幾何学模様は、詩のような奥行きを感じさせる。
またロシア・アヴァンガルドとソ連時代のアンダーグラウンドのアーティストたちによる作品を多く収集しているコスタキス・コレクションから、カジミール・マレーヴィチやアレクサンドル・ロトチェンコによる作品を多数展示したほか、スタニスラフ・レムの小説『ソラリス』を、映画や資料でたどる「ソラリスティクス」と名付けられた展示室も設けられていた。
いっぽう、「Cosmos Cinema」まで一見かなり遠い作品群もある。例えば、笹岡由梨子のジャイロシリーズは、トレッドミルやバランスボールに乗る悪魔がスパンコール刺繍などで表現されている。解説文からは、東日本大震災の経験が制作の背景にあるということがわかるが、本展のなかでこの作品を理解するには、ロシア宇宙主義の神秘的な面を拡大解釈する必要があるかもしれない。
中国の神話の世界とヒエロニムス・ボスの地獄絵図を混ぜ合わせたような立体作品(動力があり、ブルブルと震えていて、おかしみを誘う)《Ship of Fools》(2018)と、浙江省南部ののどかな風景や荒廃した工業地帯を映し出す映像《Garden of Earthly Delights》(2016)で構成された周嘯虎(チョウ・シャオフー)のインスタレーションが目を引いた。
また、金融の世界に渦巻く時間・歴史・富のイリュージョンへと観客を誘う佩恩恩(ペイン・ジュー)《ポトラッチ・オブ・デリバティブ》(2023)は、豪華な中華料理のような立体作品を組み合わせ、高級レストランのような空間をつくり出した。食品と樹脂と貴石が入り混じったインスタレーションは、優美に盛り付けられた薄切りきゅうりの中に仏像が座っていたりして、見ているこちらの価値観がバグってくる、衝撃的な作品だった。どちらも土着の神話や宗教、風景や文物をモチーフに、現代の状況を描写する作品で、やはり「Cosmos Cinema」との関連を読み解くには精神文化や経済の流れを宇宙的なものとして敷衍させる必要がある。
本展に問題があるとすれば、この点にある。通常、直接的な関連のない(関連の薄い)作品を入れることは、展覧会の意味内容に相応の厚みを呼び込むひとつのやり方ではあるのだが、宇宙と映画という本展のテーマがなんでも飲み込むことができるほど広いため、展示作品に幅を持たせれば持たせるほど何も言っていないのに等しくなるというリスクが持ち上がってくる(「何についての展覧会ですか?」「すべてのものについての展覧会です」)。
また蘇詠宝(ソー・ウィン・ポー)の《Invisible Island》(2023)は香港島の多様な動植物のホルマリン漬け標本であったが、この作品における極めて今日的な、痛切なメッセージは、「より心理的で感情に訴えかける」展覧会を目指した本展の枠組みのなかでは明らかに気づかれにくかった。この“映画”的な娯楽性も、本展が宿命的に抱える問題点であったと言えるだろう。
しかしながら、イジア・バリオの天文物理学者ら専門家へのインタビューを織り交ぜたセミドキュメンタリー《A Demon that Slips into Your Telescope While You’re Dead Tired and Blocks the Light(あなたが疲れている隙に望遠鏡に入り込み光を遮る悪魔)》(2020)のなかの、科学も研究者の目から見たものでしかない、という言葉が鋭いコメントとして脳裏に刻まれる。つまり宇宙もフィクションであると作家は語りかけるのだ。この言葉が照らし出す視野から、本展全体を貫く、スピリチュアリティと科学、歴史と記憶と忘却、太古から近過去・現在へと流れる時のなかで抜け落ちるもの、形を変えて残るもの、そういったメインテーマが浮かび上がってくる。
個々の作品へのフォーカスが弱いといった問題点も、言ってみれば近代的で資本主義的な観点から生まれる懸念なのだろう。あらゆるものが渾然一体となったなかに生きている私たち、地球という惑星の表面に生き続ける自分たちを、ある種の感慨とある種の希望を抱いて眺めてみる──本展はそのための装置であったと思う。
*1──そのうちのひとつは実際に開催された:「生土礼賛」展、上海明珠美術館、2023年12月16日〜2024年3月17日。
*2──本書は『ロシア宇宙主義』として河出書房新社より日本語訳が出版予定である。
*3──「なぜいま「ロシア宇宙主義」か? 「e-flux」創始者アントン・ヴィドクルに聞く」ウェブ版「美術手帖」2018.2.2, https://bijutsutecho.com/magazine/interview/11265
*4──2023年11月8日に行われたディレクターズ・ツアーより、筆者訳。