美術のいちジャンルとして定着している「日本画」。しかしその歴史は意外と浅い。そもそも「日本画」という概念は、明治政府のお雇い外国人として来日したアーネスト・フェノロサ(1853〜1908)が日本国内で目にした絵画を総じて“Japanese Painting”と呼び、この英語を日本人通訳が「日本画」と翻訳したことで明治以後に定着していったと言われている。
「西洋画」へのオルタナティブとして生まれた日本画の歴史をたどりながら、その可能性を再考しようとするのが、箱根のポーラ美術館で始まった企画展「シン・ジャパニーズ・ペインティング 革新の日本画―横山大観、杉山寧から現代の作家まで」だ。会期は12月3日まで(展示替えあり)。担当学芸員は内呂博之と岩﨑余帆子。
2010年にポーラ美術館が近現代の日本画コレクションを紹介する展覧会を開催して以来の日本画展となる本展。インパクトがある「シン・ジャパニーズ・ペインティング」(Shin Japanese Painting)というタイトルについて、内呂はこう語る。
「本展は(村上隆が提唱した)『スーパーフラット』のような新しいムーブメント起こそうとするものではなく、様々なアーティストを通じて、ジャパニーズ・ペインティングとは何かを考察しようとするもの。『シン』とは新/真/神など様々な解釈ができるものであり、多様な作品のなかから、『シン・ジャパニーズ・ペインティング』が立ち現れることを期待する」。
近代の「日本画」を牽引した明治・大正・昭和前期の画家たちや、杉山寧をはじめとする戦後の日本画家たちの表現方法、そして現在の「日本画」とこれからの日本の絵画を追究する多様な作家たちの実践の数々にあらためて注目し、その真髄に迫ろうとするものだ。
会場を見ていこう。構成は「プロローグ 日本画の誕生」「第1章 明治・大正期の日本画」「第2章 日本画の革新」「第3章 戦後日本画のマティエール」「第4章 日本の絵画の未来―日本画を超えて」。中川エリカ建築設計事務による螺旋状の会場デザインが、従来の「日本画展」のイメージを覆す大きな助けとなっている。
展示室冒頭で鈍く輝くのは、日本画と西洋画との比較の必要性や日本画の存続を危ぶむようなフェノロサの言葉(『美術真説』より)と、線描や色彩表現、薄塗りという明治以降の日本絵画の伝統を端的に表した杉山寧の若き日の作品《慈悲光》だ。
プロローグにはフェノロサの薫陶を受けた狩野芳崖、日本画から洋画へと転向した高橋由一ら、日本画と西洋画のはざまで自身の進む方向性を模索した画家たちが並ぶ。しかしその前に会場を埋めるのが、第4章の作家である三瀬夏之介の巨大なインスタレーションだ。注目したいのは、これがフェノロサの言葉と近代の画家たちの間に配されている点だ。
日本列島を逆さに吊るすことで日本という国家そのものを再解釈させるような大作《日本の絵》や、多数の富士山を描きこんだ新作《日本の絵ー風に吹かれてー》、三瀬が拠点とする山形を描いた大作《だから僕はこの一瞬を永遠のものにしてみせる》と、それに向かい合うように展示された東日本大地震後の日本を描いた《空虚五度》。
三瀬の作品はは日本画の画材を使いつつも、表現は日本画の様式にどどまらない。フェノロサの言葉と近代の画家たちの中間に三瀬の作品が配されることで、日本画が様々な要素を吸収し、発展しながら現代まで継続されていることを端的に伝えている。
三瀬の作品群によって「日本画への固定概念」が揺さぶられた後は、ふたたび旧来の日本画の世界に入る。
横山大観や菱川春草らは、線を用いない表現手法である「朦朧体(もうろうたい)」の発明、伝統的な顔料でなく西洋顔料や合成顔料の使用による鮮やかな色彩の獲得、そして花鳥画ではなく自然主義的な風景画によって、日本画の革新してきた。1〜2章ではこうした戦前の日本画の軌跡をたどることができる。
3章においては岸田劉生や岡田三郎助、藤田嗣治ら、日本と西洋を折衷しながら作品を生み出してきた作家たちのほか、今井俊満など戦後海外美術の影響を受けた作家らが並ぶ。
フェノロサが危惧したように、戦後は画壇において「日本画滅亡論」が巻き起こる。そのいっぽうで、日展を舞台に日本画の世界で華やかな活躍を見せた髙山辰雄、東山魁夷、杉山寧らは、西洋絵画(とくに抽象絵画)から影響を受け、油彩画のようなマチエールによって独自の日本画を創出しようとした存在だ。
本展ではこうした近代日本画の世界が、ハイライトである第4章の現代の作家たちへとつながっていく。
第4章の出品作家は山本太郎、谷保玲奈、半澤友美、久松知子、春原直人、三瀬夏之介、荒井経、マコトフジムラ、吉澤舞子、野口哲哉、深堀隆介、山本基、天野喜孝、李禹煥、蔡國強、杉本博司、永沢碧衣、長谷川幾与。現代美術の世界でも目にする面々を、素材やテーマ、技法など様々な切り口から「日本の絵画」の新たな担い手として位置づけたことがこの展示の大きな特徴だ。
山本基はジェットオイラー(油さし)と塩を使い、亡き妹と妻の記憶を留める作品をひたすらにつくり続けているアーティスト。金箔や岩絵具を用いた作品と、そこに残る輪郭線が日本画と山本をつなぎとめている。
アメリカ生まれのマコトフジムラは、東京藝術大学に留学し加山又造に日本画を学んだ経歴を持つ。本展出品作は、ともに岩絵具を使用したものだ。
野口哲哉と深堀隆介は平面よりも立体作品で知られる作家。野口は鎧兜を身につけた侍、深堀は金魚というそれぞれ日本的なモチーフを用い、独創的な作品を手がけてきた。
久松知子の出品作品《日本の美術を埋葬する》は日本美術における批評を題材にした大作だ。近代以降、日本の美術界をになってきた重鎮の評論家や作家らをひとつの画面に収めたこの作品は、日本画の固有性を問い直すものとなっている。
杉本博司と山本太郎は、ともに尾形光琳の傑作《紅白梅図屏風》を引用した作品を制作した経験を持つ。山本の《紅白紅白梅図屏風》ではポップカルチャーの象徴でもあるコーラがその中央を大胆に占拠し、いっぽうの杉本の《月下紅白梅図》ではプラチナ・パラデイウム・プリントによって画面全体が鈍色で覆い尽くされた。同年に制作されたまったく同じモチーフの2作品の共演を楽しみたい。
手漉き紙の原料である植物繊維を利用した彫刻やインスタレーションを制作する半澤友美や、「VOCA展2023」で大賞を受賞した永沢碧衣は、今回の展示によって「日本画」というジャンルにあたらめて向き合った作家たちだ。
半澤が題材にした《生々流転》は横山大観の代表作。自身の祖母が残したメモと楮(こうぞ)をすきこんだ長さ40メートルに及ぶ巻物で、大観が見た世界と現代の生活を結びつけた。
いっぽうの永沢はマタギをリスペクトしながら狩猟を行っており、所属する猟友会から提出されたクマの皮革や骨から膠をつくり、それを岩絵具と混ぜてクマを描く作家。複数の世代にわたる別れた熊を描いた大作《山景を纏う者》は、古来の日本画が画題として扱ってきた「日本の自然」と接続するものだ。この作品が展示の最後を飾るとともに、展覧会の冒頭へと環をつなぐ役割も果たしていると言えるだろう。
なお展示を見た後は、アトリウムギャラリーにも立ち寄ってほしい。ここでは天王洲にあるPIGMENT TOKYOの協力によって、日本画の画材が博物館のように展示されている。天然岩絵具を含む500色もの顔料が並ぶ様子は圧巻だ。また多種多様な筆や刷毛、定着剤として使用される膠(にかわ)など、実際の道具を見ることで、より日本画が身近なものとして迫ってくるだろう。