「日本画」と現代アートの隔たりはなぜ生まれたか。グループ展「re」 座談会

東京・渋谷のbiscuit galleryで1月6日から23日まで開催されるグループ展「re」。大学で日本画を専攻し現代美術作家として活動する7名の作品が3つのフロアで展開される。参加作家から古家野雄紀、菊地匠、大庭孝文の3名とギャラリー代表の小林真比古による座談会を、本展企画に協力した奥岡新蔵のモデレーションで実施した。当日参加が叶わなかった作家の出口雄樹には、後日電話取材を行った。

文・写真=中島良平

左から、大庭孝文、小林真比古、古家野雄紀、菊地匠

 展覧会タイトルの「re」は、「再び」「反対」などの語意を形成する英語圏の接頭辞を引用したもの。語義的な理由から、必然的にそのもととなる、あるいは対峙するための事柄を伴う。グループ展に出品する7名の作家に共通するのは、大学で日本画を専攻したこと。しかし、院展などの公募団体展への出品や、百貨店の画廊での展示販売で日本画の「顧客」とコミュニケートするのではなく、現代アーティストとして制作を続けている。そもそも、何を指して「日本画」というのだろう。現代アートと日本画を隔てるものとはなんなのだろう。興味深い話を聞くことができた。

──このグループ展の企画は非常にチャレンジングで、日本画という日本に独特なシステムの世界と、現代美術というフィールドの分断に触れています。その狭間で両方の遺伝子を持つ作家、隔たりも関係なく活動する作家もいますが、biscuit galleryの小林さんからこの企画の話を聞いたとき、「その分断で損をするのは作家さんではないか」とおっしゃっていたのが印象に残りました。企画の経緯をお話しいただけますか。

小林真比古(以下、小林) 私がもともと古家野雄紀さんの作品を購入していたり、美大の日本画科を卒業して活動する好きな作家さんがいました。しかしながら、東京藝大の卒展などを経て日本画領域で活躍する人との隔たりを感じたりするうちに、ふわふわといろいろな要素が結びついて企画が生まれました。日本画という独特な言葉の意味にモヤモヤしたものを感じており、自分はまだギャラリーをオープンして1年ほどでこの業界の経験も浅いので、その立場だからできることがあるのではないかと考え、今年の春に発案して作家さんへの声がけを始めました。また、本企画について奥岡さんに相談した際に、日本画由来の作家が現代美術のシーンと断絶していることについて共感いただき、ひとつの運動的な取組にしたくテキストを寄稿いただきました。

小林真比古

──ステートメントでは東京都現代美術館が2006年に開催した「No Border 『日本画』から/『日本画』へ」という展覧会を参照し、この企画がそうした日本画と現代アートの領域を横断するアーティストに焦点を当てる運動として見ることができるようにと工夫しました。ところで、みなさんは日本画科を卒業されて、日本画と現代アートの領域の狭間で制作を行われているように思うのですが、日本画領域とはどのような世界だとお考えでしょうか。

菊地匠(以下、菊地) 僕は東京藝大の日本画科をかなり偏った場所だと感じてアンチになってしまい、自分を日本画家とは名乗らずに絵を描いているので、こういう現代的な作家を扱うギャラリーに声をかけていただいてありがたいと思っています。極端な意見として聞いていただきたいのですが、個人的に日本画という概念は、百貨店が高く商品を売るための方便だと思っていて。会田誠さんがおっしゃっているように、昭和天皇の崩御とともに潰えた芸術運動だととらえています(*)。

菊地匠
3階展示風景より、左から菊地匠《解剖学》(2021)、《中庭》(2021)
「ストイックで骨太な作家性が好印象の菊地匠さん。美しい筆触と絵具に表現される絵画は、考え抜かれたコンセプト、計算された展示空間設計により、豊かな鑑賞体験につながっていくはずです」(小林)

大庭孝文(以下、大庭) 広島で美術大学を出て活動している作家からの視点ですが、地方だと、日本画の領域では、団体展の力、影響というのがすごく大きいと思います。院展や創画展の作家として活動する先生から日本画とはこういうものだと教わり、そうした団体展の作品をデパートの画廊で見て学ぶわけです。それを学んでおけばなんとかなるんじゃないかと考える学生もいれば、外からの情報を得て日本画は終わってるぞと思う学生もいて、教育の現場としてはちょっと混乱している感覚を持っていました。いま僕は広島市立大学の芸術学部日本画科で助手をしていますが、学生からもどうしたらいいかわからない、という言葉はよく聞きます。

大庭孝文
3階展示風景より、大庭孝文《正しい風景(湿原、神社、黒松)》(2021)
「大庭さんは『記憶のプロセス』をテーマに制作されています。彫刻のようにも見える画面の表情は独特で、ブルーを基調とした地図にも風景にも見える穏やかな作品。読み解く私たちの視覚が揺さぶられるような感覚になることでしょう」(小林)

──日本画の世界では、上下関係が強いというイメージもありますよね。

古家野雄紀(以下、古家野) 最近はハラスメントの問題もあるので大学側もセンシティブになっているとは思いますが、たしかに上下関係のようなものはありますね。あと、分けたがるんですよ。油画とは違うものとして分類したいような意識があるというか、日本画という領域をつくって内輪で上下関係をつくるような体質が感じられます。

古家野雄紀
1階展示風景より、左から古家野雄紀《Kaede》(2021)、《Hikari》(2021) 
「ウィンドウに展示される葛飾北斎『富嶽三十六景』をオマージュした作品、本展で初披露されるアクリル絵具を用いた少女の絵画など、デジタルネイティブ特有の視点で新たな絵画表現にチャレンジしています」(小林)
ウィンドウ展示風景より、古家野雄紀《波と富士と群像図》(2021)

小林 例えば、東京藝大の卒展・修了展を見に行くと、作品のスタイルがほぼ同じですよね。フィギュアスケートで喩えると、規定演技と自由演技があって、その自由演技で勝負するのが美術の世界だと思いますが、日本画の卒展を見ると規定演技のみを重視しているように感じます。

菊地 卒業制作というのは、大学院に行くためのチケットなんです。学部だけ出ても、日本画家としてなかなかものにならないので、大学院を目指すわけです。卒展を見ると、作品が掛かる位置によって成績の順番がわかるんですよ。教授が「お前はここ。お前はここ」って東京都美術館に入ってきた作品の位置を指定していく。結果、僕の作品は下から2番目で、ビリはすごく仲の良い友達でした(笑)。

──皆さんはそもそも、どのような経緯で日本画を専攻しようとされたのですか。

出口雄樹(以下、出口) 高校生のときイギリス人の先生から英語を教わっていて、バンクシーなどの話を聞き、路上ではグラフィティを描いたりしていました。いわゆる違法行為です。ある時点でそれを続けても仕方ないなと考えて、アーティストになろうと決めました。海外で活動するためには、油絵だと世界中でやっている人が多いと思ったので、日本のものを勉強しようと思い東京藝大で日本画を専攻しました。

2階展示風景より、出口雄樹「Subliminal Switch」シリーズ(2021)
「強固なコンセプト設計や高い作品クオリティを武器に、グローバルに活躍する出口雄樹さん。本展では『Subliminal Switch』シリーズ14点をフラットに並べた展示構成により、サブリミナルな空間をつくりました」(小林)
2階展示風景より、出口雄樹「Subliminal Switch」シリーズ(2021)

菊地 僕はギリシャ彫刻が好きだったので、ギリシャ彫刻を一番上手く描けるメディアがなんだろうと考えて日本画を選択しました。デッサンの魅力というのが僕にとってはすごく強くて、その技術を高めるのには日本画が適していると考えて東京藝大に入学しました。

古家野 うちは高校が美術系だったので、その段階で油画、日本画、彫刻、デザインという4科目に触れていました。最終的にひとつに絞る必要があり、素材を一番扱いやすいと感じた日本画を選びました。

大庭 僕は普通科の高校で、美術に関わりがある家庭でもなく幼少期にはマンガを描くのが好きという程度だったのですが、高校から進路を考えるときに美術予備校というのがあることを知って通い始めました。そこで美大にはどういう専攻があるのかを知り、予備校の先生からお前は日本画が向いているんじゃないかと言われ、そういう限定的な情報と選択肢のなかから選んだのが日本画でした。

──日本画科で技術を学びながら、皆さんの意識は日本画領域から外へと向かったわけですが、それぞれどのような契機があったのでしょうか。

菊地 2011年に大学に入学して、夏の院展の作品をみんながすごいと言っていたので、僕も当時は素直だったんで見に行ってみたんです。3月11日の震災をモチーフにした作品がけっこう多くて、それがモチーフになっていることに強烈な違和感を覚えたんですね。おそらく来年は違うものを描いている人も多いんだろうと感じましたし、震災を描いておけば、日本画家として自分が何かを言ったことになるだろうというような、描き手の日本画というメディアに対する素朴に過ぎる信頼感のようなものを感じて、違うんじゃないかと思えたんです。アンゼルム・キーファーやマグダレーナ・アバカノヴィッチたちが未曾有の悲劇を扱うこととのこの差はなんなんだろうと、それまでに見た現代美術も含めて日本画を相対化された気がしました。

3階展示風景より、菊地匠《オブジェ2》(2021)

大庭 僕は広島で絵を勉強していたのですが、どうしても美術の情報に触れられる機会が限定されるので、何か大きなアクションが起こるとみんながそこに注目するんですね。通っていた広島市立大学の卒業生に岩崎貴宏さんがいて、2017年にヴェネチア・ビエンナーレの日本館代表に選ばれたときに同級生がみんな、「岩崎さんかっこいい!」となったんです。そうすると、岩崎さんも学科の垣根なくヴェネチアでの作品発表までのプロセスを後輩たちに教えてくれたり、現代美術のレクチャーを開いてくれたりして、その影響で現代美術に惹かれていきました。

出口 僕が通った東京藝大の日本画科は、当時は院展の養成機関のような色合いが濃く、そのなかで学生たちが勉強をしていました。箔を張ったり岩絵具を使ったり・・・・・・、という技法的な部分は一通り学べました。ドイツの美術史家であるエルヴィン・パノフスキーが「形式的な層、イコノグラフィーの層(図像の意味、描かれている内容や物語)、イコノロジーの層(時代や文化、世界観など作品が持つ統一的な意味、理念)」と3階層に分けて絵画を説明しているのですが、開校時に岡倉天心が指導していた頃の日本画家は、コンテクストも含めて絵画をとらえていました。作品の文脈を読むという点では、極めて現代美術的な鑑賞法です。

 藝大を卒業してアメリカに行ってから、コロンビア大学の村瀬実恵子先生という日本美術研究の大家とお会いし、自分も日本人の絵画を現代的につくるにはどういう方法があるのかと意識するようになりました。そして、日本文化のエッセンスを見た目重視で抽出しただけではない日本美術へのアプローチを考え始めました。

2階展示風景より
2階展示風景より、鈴木康太《EMERGE》(2021)
「デジタルデータの制作過程で起こる『バグ』をモチーフの一部として用いています。箔や木材、岩絵具やコラージュなどから表現される物質感を楽しめる作品です」(小林)
2階展示風景より、左から鈴木康太《空間松林図_10》(2021、《空間松林図_11》(2021)

菊地 繰り返しになりますが、会田誠さんが言っていたように、僕は昭和天皇の崩御で日本画という形式は潰えたと思っているんですね。遡って話すと、明治にできた大日本帝国憲法のもとで天皇陛下を政治的にも精神的にも臣民の頂点に据えて近代的国民国家というフィクションがつくり上げられました。そのときに、岡倉天心とアーネスト・フェノロサが日本画というものを創出しました。明治から過去を遡り、天心や福地復一が美術史をひとつの連続としてとらえるフィクションをつくり上げたわけです。天心は「Asia is one」や「日本は東洋の博物館だ」というようなことも言ったわけですが、アジアでいち早く近代化を成し遂げた日本が東アジアでリーダーを取ろうという意識と結びついていたと思うんです。もちろん天心ひとりに責を問うことはできませんが、日本という近代国家と日本画が共犯関係となっていたことは否めません。

 では戦後の日本画家はどうだったんだろうと考えると、敗戦によって失われた日本の中心を別のもので埋めようとしたんじゃないかと思うんです。敗戦を経験した平山郁夫がシルクロードや仏教伝来をたどっていったように、文化が流れ着くその最果ての土地として日本をとらえることで、プライドを保とうとしたのではないかと。それが平山郁夫がやろうとしたことの意義だと思うんですね。そのような敗戦という転換点があって、昭和天皇が神から人間になった状況のなかで日本画という芸術運動はかたちを成していましたが、その崩御によってトップがいなくなり潰えてしまった。それが会田さんの解釈で、僕もその通りだと思っています。その後の展開を比喩的に言うなら、平山郁夫がシルクロードから運ぼうとした諸々が座礁して、塩水に浸され葦も生えない「悪い場所」である砂浜に平らに散らばり、体系も何もないスーパーフラット的な状況が生じる。そこには考える葦である人間は育たないが、海からは怪獣が上陸する・・・・・・。はずだったけれど、現実には何も起きてない、みたいな感じでしょうか。

 出口 明治期に日本画が生まれた当初は、日本の伝統的な技法を使った絵画で、輸入された西洋画に負けないものをつくろうという気概があったように思います。明治という時代が持つ気風が、強い目的意識に結実していたのではないかと思います。他国を侵略する際に軍事的侵略は一般的ですが、同時に、宗教的・文化的侵略も行われますよね。その視座に立つと、日本画は西洋文明の急先鋒である洋画の侵攻を食い止める文化的な防波堤であったと言えるかもしれません。そういう意味においては、日本画が発生した当時の役目はもう終えているように思います。であるならば、先ほどの3階層の話じゃないですが、本来絵画が持つべき「意味性」を再び考えることで、現代における日本画を問い直す必要があるように思います。

1階展示風景より、左からタニグチカナコ《静》(2021)、《動》(2021) 
「人間同士の関係性や感情をコンセプトに制作する作家です。独特なモチーフや古典的な素材や技法を用いた複雑なマチエールなど、一見シンプルですが見所の多い作品です。表情豊かな絵肌をぜひ直接ご覧いただききたいと思います」(小林)
1階展示風景より、中原亜梨沙《Nobody knows》(2021)
「中原亜梨沙さんの描く力強い女性ポートレートが大好きです。ギャラリー入口に展示されたのは、これまでの作品と最近描き始めたモノクロームの線描との中間地点となるチャレンジングな1枚。本展のために描き下ろしてくださった新作です」(小林)
1階展示風景より、古家野雄紀《Yumi》(2021)

──日本画を論じる際に、岩絵具や箔などの素材論に終始しかねない状況があります。実際に日本画科で学んだ皆さんは、いわゆる日本画にカテゴライズされる作品や作家からどのような影響を受けましたか。

古家野 私は高校生のときに伊藤若冲の鶏を描いた《群鶏図》(18世紀)を見て、群衆の絵を描くようになりました。《群鶏図》を自分のなかで読み解くと、奥行きや影がなく、単一でビビッドな色面を強調して描いていて、鶏同士の重なりだけで奥行きを表現していると思います。その表現を、自分でつくったキャラクターの群像図に描こうとしました。日本美術に自分のキャラクターを接続できないかという試みです。

小林 日本画っていう概念にはピンとこないのですが、日本美術というと親しみがあります。古家野さんは日本美術を引用するのがたくみだと思います。古家野さんのフィルターを通して、かつての美術とのつながりを感じられます。

3階展示風景より、大庭孝文《正しい風景(曲がった神木、剥落した絵馬、荒れた河川)》(2021)

大庭 大和絵や琳派まで遡ると、日本美術にはミクストメディア的な側面が強かったように思うんです。例えば、まっさらな和紙の上にボンと箔を貼ったり、絵具をボンと落としたり、あとは屏風や建具に絵を描いたり、異素材のものをぶつけ合って作品をつくるわけです。自分が異素材をぶつけ合って生まれるリズムでつくっているのは、日本美術から受けた影響だと言えます。

菊地 僕が日本の美術で一番感動したのは長谷川等伯の《松林図屏風》(16世紀) です。そこに感じる魅力のひとつに不可逆性というものがあって、近代化されたいまの社会において、かつて日本の生活様式のもとで見たようには工芸や絵画を見ることはできないと思うんです。その不可逆性をどうとらえるかというのは、作品をつくりながら意識しています。自分の作品制作では、一度つけた絵の具を拭うという過程があるのですが、日本画家が日本画という概念を信頼して寄りかかり、厚塗りした絵の具を画面に置き切ってしまうことに感じる違和感が、その過程の生まれるひとつの要因だったように思います。

──皆さんはそれぞれに現代における日本画の意味を考え、かつての日本の美術からの影響も受けながら独自の表現を追求されています。最後に、表現をしていてもっともエキサイティングな瞬間、表現を継続するモチベーションについて教えてください。

出口 先ほど、海外で作品を発表したいという思いから日本画を専攻したと申し上げました。一番のモチベーションは、長い美術の歴史において1行でもいいから言及され、コンテクストのなかで語られるような、充溢した作品を生み出すことにあります。良い作品は、作家の属する文化圏と時代背景を巧まずして反映するものです。未来の人が僕の作品を観て、現在のことも読み解けるツールになったらうれしいですね。

菊地 僕はシンプルに、作品を展示したあとに出る脳内物質のジャンキーになっているところがあります。描き上がったときには描き上がったとしか思わないのですが、展示をすると、自分がそれまでに読んだ本や、見たもの、経験などがひとつにつながるような瞬間があり、少しだけ自分の足元が見える感じがあります。それを求めて作品制作を続けているんだと思います。

3階展示風景より、左から菊地匠《オブジェ1》(2021)、《墓碑》(2021)

古家野 私の場合は逆に、展示よりも自分のアトリエで作品ができ上がった瞬間ですね。つくり始めた時点で完成イメージが頭の中にあるので、描くのはただの作業でしかないのですが、作品が完成した瞬間には、またやりたいなと感じます。

大庭 僕も同じで、完成したときの達成感ですね。いろいろな展示や作品から影響を受けていますが、その時々で自分にとってかっこいい作家がいたり、作品があって、それに対して自分の作品がどれくらい対等に渡り合えているかを考えるんですね。脳内でそういう作品とグループ展をして、負けていないかイメージするんです。そのときに、僕の作品は素材感やサイズ、置かれる環境によって見え方が変わるので、最初のイメージを超えないとポンコツみたいになってしまう。それを力技でねじ伏せながら、架空のライバルと渡り合える完成度を得られたと感じた瞬間には、エキサイティングな気持ちよさがありますね。

 日本画という概念は、菊地匠が言うように百貨店の画廊が作品を高く販売するための方便に過ぎないのかもしれないし、出口雄樹が話すように明治期に文化的な防波堤として生み出された概念なのかもしれない。もはやその正解が曖昧なままに定着した言葉だが、日本美術史からの影響のもとで新しい表現を生み出す作家たちが現れ、現代美術の世界でインパクトを放つことも可能なはずだ。今回の座談会で多様な意見を聞きグループ展「re」に出品された作品を見ると、「日本画」の曖昧さゆえに、そこから生まれる新たな表現への期待が高まってくる。

*──会田誠のTwitterより(2019年2月5日投稿分)https://twitter.com/makotoaida/status/1092448801518809088

      出品作品は、「OIL by 美術手帖」で販売中です。

1階展示風景より

編集部

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