2021.4.25

帰去来=立ち戻って考える必要は、美術だけでなく、政治にもある。蔡國強インタビュー

雑誌『美術手帖』の貴重なバックナンバー記事を公開。本記事では、2015年に行われた蔡國強のインタビューを公開。

聞き手=神谷幸江

横浜美術館にて。蔡の後方にあるのは《人生四季:夏》(2015、作家蔵) 撮影=西田香織
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 火薬を用いた作品を世界各国で展開してきたアーティスト・蔡國強。2020年末から北京・故宮博物院で行われた個展でも話題をさらったばかりの蔡。春画をモチーフとした色鮮やかな「火薬絵画」や、東日本大震災後にいわきの市民たちと行ったプロジェクトなど、日本に縁の深い蔡が様々なテーマに挑んだ過程が語られている。

夜桜 2015 
和紙、火薬 800×2400cm 作家蔵
ミミズクと桜をモチーフにした、大規模な火薬絵画。高知県で生産される大判の和紙の上で、火薬と、漢方薬に使われる鶏冠石(けいかんせき)の粉末を混ぜ合わせたものを爆発させることで、黄みがかった色合いを実現した

大きなテーマを経て、自分にとってより身近なテーマに向かいました。

 火薬をその創造のトレードマークに、大規模プロジェクトを世界の様々な場所で実現してきた蔡國強。1980年代半ばから9年間の日本生活を経て、世界へと旅立った蔡が日本への「ふるさと帰り= 帰去来(ききょらい)」と位置付けた横浜美術館での一大個展。彼は今改めて何に戻り、何にチャレンジしようとしているのか?

「火薬ドローイング」から「火薬絵画」へ

──おかえりなさい、蔡さん。

 私にとって日本は、文化の故郷、現代美術の故郷ですね。

──前回日本で個展を開催したのは、視覚特効芸術監督として北京オリンピック開閉会式を手がけられ、ヒロシマ賞を受賞された2008年、広島市現代美術館でした。このとき水墨画の最高傑作の一つと言われる14世紀の画家、黄公望の最晩年の名画《富春山居図》(故宮博物院、台湾)を引用した巨大な火薬絵画を制作されました。火薬を作品制作に使い、絵画、さらには美術作品の既成概念を壊そうとしてきた蔡さんは、具象に対抗する、抽象的な形態を追求してきましたね。それが近年、今回の新作にも表れている通り、具象への回帰に関心を向けています。自然、人間、生けるものの営みなどへ主題の関心が移行している、その変化には何があるのでしょう?

 絵を壊し、絵に戻りました。日本に渡る前はキャンバスの上で火薬を使って爆発させて抽象画を描いていました。日本へやってきてからは和紙という素材が面白く、屋外の大規模プロジェクトのためのドローイングを和紙を使ってつくったんです。1991年初めに東京のP3 art and environmentで「原初火球」という展覧会を行って、正式に「火薬ドローイング」という名称でこの手法を呼び始めました。広島で行った昼花火、《黒い花火:広島のためのプロジェクト》(*1)(2008)も火薬ドローイングでアイデアを描きましたが、同じ広島で制作した《無人の自然》(2008)はドローイングとして描いていません。絵画として制作しました。

 具象へと向かったきっかけは、2008年に北京オリンピックがあったからです。2年半の間、視覚特効芸術監督として中国政府と大きなテーマを掲げて仕事をしました。「歴史」「世界」「現代」など、そのテーマは大きすぎて、オリンピックが終わったら自分にとってもっと身近なテーマに向かいたくなりました。ですから山水、花を描くというのは私の個人的な反動でした。それを今回まで続けてきたんです。さらに今回は《人生四季》(2015)で昼花火の色彩を使いました。春画に着想を得て、季節の移り変わりを描きました。これを「火薬絵画」と位置付けています。すべて独立した絵画作品です。