待望の展覧会が、ついに開幕した。森美術館の「塩田千春展:魂がふるえる」は、間違いなく今年もっとも重要な展覧会のひとつとなるだろう。
本展は、ベルリンを拠点に世界地で活動を続けるアーティスト・塩田千春にとって、過去最大規模の個展。1972年生まれの塩田は93年より国外を拠点にしており、マリーナ・アブラモヴィッチやレベッカ・ホルンに師事してきた。これまで日本では高知県立美術館(2013年)、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(2012年)、国立国際美術館(2008年)などで個展を開催してきたほか、2015年には第56回ヴェネチア・ビエンナーレに日本館代表として参加している。
本展をキュレーションした森美術館副館長・片岡真実は、塩田について「私性(わたくしせい)の強い作家と言えるが、生と死や存在といった普遍的、根源的な問いを長らく追求している」と語る。「塩田は先の見えない世界の、掴みどころのない不安が原動力となっています。本展は、その塩田が世界で受け入れられる背景とはなんなのかを考えるものです」。
塩田が展覧会のオファーを受けたのは約2年前。塩田はそのとき「生きててよかったと思った」という。しかしながらそのオファーがあった翌日、12年前に患った癌が再発していることが発覚。「これからどうやって生きていけばいいかわからない状態に陥りました」。闘病を続けながら準備に注力してきた本展について、こう振り返る。「ここまで死と寄り添った展覧会は初めてで、死や生きていくことを考えさせられた展覧会でした」。
本展は、癌との闘いを経た塩田のこれまでの活動に、新作を加えた展覧会。総展示作品数は113点で、うち18点が新作となっている。
今回は展覧会に入る前に、まずは森美術館へのエントランスで驚かされる。通常、何も展示されていないエレベーター前のスペースに、高さ11メートルの天井から吊られた約10艘の舟からなる《どこへ向かって》(2017 / 2019)が出現した。この作品に導かれるように、美術館へと入っていく。
会場冒頭には、小さな子供の掌をモチーフにした作品《手の中に》(2017)がある。儚げなオブジェをすくい上げるように守る両掌は、塩田の実娘の手をかたどったもの。「魂」や「生命」をイメージさせる抽象的なモチーフは、本展タイトルにある「魂がふるえる」とつながっている。
そしてひとつ目の大きな展示室で鑑賞者を迎えるのは、全長280キロメートルもの真っ赤な糸で覆われた空間にフレームだけの舟が配された《不確かな旅》(2016 / 2019)だ。「ヴェネチア・ビエンナーレ」の際も本作同様、舟と赤い糸を使った塩田。当時は大量の鍵の下にヴェネチアの伝統的な舟が設置されていたが、その翌年につくられた本作では舟のかたちはより抽象化されている。この「舟」というモチーフは塩田にとってどういう存在なのか。塩田はこう語る。「孤独だが宇宙の中にいる。ある方向に向いて前に進んでいる(しかし振り向けば死が待っている)ということを示しています」。
そして展示は黒い糸の空間へと続く。燃えたグランドピアノと観客用の椅子が黒い糸でつながり、空間全体を埋め尽くす《静けさのなかで》(2002 / 2019)。これは、幼少期に塩田の隣家が夜中に火事で燃えた記憶から制作された作品。音が出ることのないピアノの存在と、観客不在の椅子が沈黙をより強いものとしている。
そしてその奥では、鉄板に囲まれた空間の中に黒い糸が張り巡らされ、白いドレスが吊るされている。《時空の反射》(2018)と題された本作。ドレスが不穏な黒い糸の空間に浮かぶことで、「不在」を強く感じさせるものとなっている。
いっぽう《内と外》(2008 / 2019)は、違った表情を見せる作品だ。素材となるのは、再開発が進む当時のベルリンで廃棄された窓。塩田は2004年頃から窓を使った作品を制作しはじめた。プライベートな空間の内と外の境界として存在する窓。本展では約250枚の窓枠が使われたバージョンを見ることができる。
そして展覧会は、鑑賞者個々人のこれからの人生を想像させる作品《集積―目的地を求めて》(2014 / 2019)へとつながっていく。440個のスーツケースが赤い糸で吊るされ、天へと続く階段のようになだらかに上昇していくこの作品。これは、塩田がベルリンで見つけたスーツケースの中に、過去の新聞を発見したことがきっかけで生まれたというもの。人々の旅路を示唆するスーツケースは、「次」を予感させる作品だ。
本展の見どころは、これら没入型の大規模インスタレーションだけではない。初期のドローイングやパフォーマンス映像、あるいは舞台美術の仕事など、塩田のキャリアを通覧できるほか、新作にも注目してほしい。
ガラスを使って細胞をかたどった《再生と消滅》(2019)や、塩田自身の身体のパーツモチーフにしたインスタレーション《外在化された身体》(2019)など、肉体をモチーフとしたこれらの作品は、塩田が死と向き合ったこの2年の経験から生まれてきたものだ。
その背景には、塩田が治療のプロセスでベルトコンベアーに乗せられるように身体の一部が摘出され、抗癌剤治療を受けるなかで、「魂が置き去りにされている」と感じた経験がある。片岡はこれらの作品について、こう評する。「(塩田は)これまでは不在のなかに生命の営みの存在を感じ取ってきましたが、今回の作品ではその不在が作品化されたのではないでしょうか」。
そして会場の最後を飾るのもまた新作だ。冒頭の《手の中に》と呼応するような映像作品《魂について》(2019)は、塩田が10歳のドイツの子供たちに「魂(ゼーレ)」について質問し、それについて答える様子を映したもの。本展覧会を締めくくるものとして、これ以上ふさわしいものはないだろう。
塩田が死と寄り添いながらつくり上げてきたこの展覧会。塩田はこのように語りかける。「それぞれが対話し、魂をふるえあわせながら、なにか共鳴してもらえれば」。