「フェラーリ」や「ポルシェ」など高級車の内装素材として知られるイタリア製の高級テキスタイル「アルカンターラ」をご存知だろうか。アルカンターラは、パナソニックのメンズシェーバー「ラムダッシュ」やマイクロソフトのラップトップ「サーフェス・ラップトップ」をはじめ、ボーズのヘッドフォン「QC35Ⅱ」など、ワンランク上のデザイン性に優れたプロダクトや、有名ファッションメゾンのコレクションにも採用されている。また2009年に欧州内でもいち早くカーボンニュートラルの認証を取得したのを皮切りに、サスティナビリティ(持続可能性)への取り組みを積極的に推進。その未来を見据えた企業哲学は、イタリア現地でも卓越したものととらえられている。
このアルカンターラ社が力を入れているのがアートの分野だ。2016年にスタートし、今年で3回目を迎えるアートプロジェクトが、ミラノ王宮(ミラノ・パラッツォ・レアーレ)内の「王子の居間」で、4月5日から5月13日まで開催されている。「母国イタリアの文化活動に参画することを誇りに思っている。〝エモーション″は素晴らしい未来を切り開くために不可欠なものだ」と語るのは、アルカンターラ社の会長兼CEOアンドレア・ボラーニョ。
「時間を移動する9つの旅(ナイン・ジャーニーズ・スルー・タイム)」をタイトルに冠した本展は、世界各国で活躍する10組の現代美術家による合同展。塩田千春、徐文愷(シュー・ウェンカイ)、アンドレア・アナスタジオ、カテリーナ・バルビエリ、クライン・デ・コーニンク、李妹睿(リー・シュウルイ)、エスター・シュトッカー、イリス・ヴァンヘルペン、ツァイトガイズド、ザイムーンによる、アルカンターラ素材を用いた作品9点が展示されている。
キュレーターのひとり、マッシモ・トリジャーニは「このプロジェクトは、アーティストとの会話からスタートするという稀なものだ。アーティストが素材からどれだけイメージを膨らませることができるかという挑戦もある。また『王子の居間』という独特な雰囲気を持つ空間との対話も重要になってくる」と語る。
展示スペースの「王子の居間」は、12室からなるネオクラシック様式の空間。アーティストたち各々が「王子の居間」と意思を通わせ、この空間ならではの作品を構想した。独特の時間が流れる空間の中に現代作品が息吹き、また新たな時空間を創り出す。各部屋を回遊しながらそれぞれの作品を堪能した後には、「不思議なタイムトリップ」をしてきたような感覚が残る。「合同展」としてひとつの強い印象をつくり上げた点からも成功を収めていると言えるだろう。
では各展示作品を見ていこう。
まず特筆すべきは塩田千春の《Reflection of space and time》だ。この作品が展示されているのは、壁にネオクラシックの大きな鏡がしつらえられた静謐な部屋。黒く細いテープが張り巡らされたモノクロームの正方体の中に白いドレスがほのかに浮かび上がり、糸の織りなす影が壁面に映る幻想的な作品だ。塩田は「線の重なり合いで、言葉に表すことのできないような何か、説明できない違和感のようなものを投影した」と語る。本作に使われている黒いテープは、アルカンターラを細長く裁断したもので、使用された全長はなんと110キロメートル。「ドレスは人にとって第2の皮膚」だと考える塩田が、ドレスで人の存在を象徴した。
展示では、正方体内部のひとつの対角線上に鏡が置かれ、鏡に映るドレスがあたかも本当に存在しているかのように見える。「鏡とは不思議なもの。じつは私たちには本当のことが見えていないのではないか、鏡の向こうにはまた別の世界があるのではないか。過去の自分や未来の自分が見えるかもしれない」。塩田はこの展示室にもとからあった鏡を見て、すぐにこの作品のインスピレーションを得たという。塩田が作品に鏡を使うのはこれが初。「記憶や時間。反射しないものが作品の中では反射します」と語る。
また、ベルリンのアートユニット・ツァイトガイズドの《Beyond the Nuclear Garden》は、アルゴリズムの成果といえる作品を発表。本作は、全体が内部に仕込んだスピーカーが放つ音で地響きのように細かく揺れている。黒、グレー、錆色、生成りなどの細かいモザイクが施された床から連続した色彩で立ち上がる歪んだフォルムの「島」。アーティストが「色彩の間欠泉」と呼ぶその島の上には、有機的なシェイプのシリンダーが配されている。
展示は隣室に連続し、ベルリンを拠点に活動するイタリア人作曲家カテリーナ・バルビエリが同名のインスタレーションを見せる。彼女にとって初のインスタレーションとなる本作。ツァイトガイズドの作品にも見られたシリンダーは、こちらの展示にも用いられており、これはツァイトガイズドの「デジタルの統合」への愛情を共有したものだという。バルビエリは、中部イタリアのネーラ・モントーロにあるアルカンターラの工場を取り巻く様々な音を素材に、自然の調音法則から着想した調性を加えた音の作品をつくり上げた。鑑賞者も壁一面の巨大なシンセサイザーに触れて、音づくりに参加できるインタラクティブな作品だ。
このほか会場では、DCモーターの回転を利用して半永久的に音を奏で続けるパーカッションを壁一面に配し、部屋全体を楽器に仕立てたザイムーンの《156 prepared dc-motors, wires,mdf boxes 30×30×3cm》や、暗闇に白く光る服の彫刻で、未知の文化の幻影を表現したイリス・ヴァンヘルペンとファッションデザイナーのエスター・シュトッカーの共同作品《Extended Indefinitely》、曲線で構成されたオプティカルモチーフが施された李妹睿の《The Temple of Reverence for Knowledge Beyond Human Comprehension》など、多種多様な表現が一堂に並ぶ。
アルカンターラという共通項を持ちながら、各アーティストによる独創性に富んだ作品が集結した本展。アートにおけるテキスタイル素材の可能性の大きさを示した展覧会と言えるだろう。