「戦後80年 石井柏亭 えがくよろこび」(松本市美術館)開催レポート。信州美術の発展に尽くしたひとりの画家の画業に迫る【2/4ページ】

 第3章は、「信州と柏亭」と題され、柏亭の疎開後から晩年の活動を取り上げた内容となる。柏亭は1945年3月、戦禍を逃れるように長野県東筑摩郡本郷村(現・松本市)の浅間温泉へ疎開した。東京大空襲により、日暮里の自宅やアトリエなど多くを失ったが、浅間温泉を拠点に制作を続け、亡くなるまでの約13年間で1000点を超える作品を残した。

 また自身の制作活動のかたわら、信州美術界の再興と発展にも尽力する。1945年夏には、疎開作家、地元作家らと浅間温泉にて展覧会を開催。本展で紹介される《松本城》(個人蔵)は、その際に展示された作品だ。いかなる場合でも文化活動は止めてはいけない、そして傷ついた人たちを少しでも癒す機会をつくりたい、という強い想いから、展覧会の開催を決定したという。奇しくも展覧会の最終日は終戦日と重なった。同年11月には、全信州美術展覧会(のちの長野県展)が開催され、その中心にも柏亭がいた。

第3章「信州と柏亭」の展示風景より、画面左は《松本城》(1945)
第3章「信州と柏亭」の展示風景より、《山河在》(1945)
第3章「信州と柏亭」の展示風景より、「画作控」

 最後の第4章「松本をえがく」は、柏亭の松本での様子がうかがえるような構成となっている。終戦から1年後、浅間温泉での生活も1年になろうというタイミングで新聞社に宛てた原稿には、松本に腰を据える覚悟、そして美術が都市部に偏っている状況を打破するためのきっかけをつくりたい、という意志がしたためられている。

第4章「松本をえがく」の展示風景より

 展覧会の最後は、繰り返し描いた松本の姿を象徴するような《松本城外堀》(個人蔵)が飾る。本作の制作中、柏亭は「(画作を)何十年もやっているが、なかなかうまくゆかないものです」と語ったという。多岐に渡って華々しい活躍を遂げた柏亭だが、それでもまだその先を目指し続けたハングリー精神を感じさせるエピソードに、柏亭の人物像が浮かび上がってくるようだ。

第4章「松本をえがく」の展示風景より、《松本城外堀》(1956)

編集部