リチャード・タトルが語る「ほぼ、空」展。空間、時間、鑑賞者への開かれた可能性【2/2ページ】

──本展は、美術館がどういった場所であるべきかという私たちの先入観をゆるやかに解きほぐしてくれます。青木さんがギャラリーショップや企画展示室、収蔵品展示室の役割をシャッフルして展覧会に組込んだことだけでなく、近代美術館の誕生とともに生まれたホワイトキューブ特有の均一な照明とはまったく異なるライティングにもそれが表れています。本展では、通常の展覧会のような「鑑賞されるべき対象」が明快ではないのです。これは近代以降の美術館の空間に対する新しい実験とも言えますね。

タトル 私たちの展覧会は「詩」に満ちています。だからこそ、多種多様な解釈に対してひらかれているのです。現代における「詩」とは、めまぐるしく変化する日々の経験や、テクノロジーに囲まれた体験のなかから自らつくり出さなければならないものです。だから本展では、私たちの経験を中心に置き、「経験の原理」に基づいてじっくりと見つめ直すよう、問いかけています。

 そして時間という概念は、美術館の内側にも外側にも等しく存在しています。これを「時間の原理」とするとこの展覧会は「経験の原理」と「時間の原理」の2つがともに働き、いずれもが鑑賞者の豊かな解釈のために開かれているのです。

展示室外にも作品が展開されている 撮影:ToLoLo studio

 アートはつねに過去のアートの歴史のうえに成り立っています。今回の展覧会における私の仕事は、ナムジュン・パイク(1932〜2006)の仕事とも関連があります。彼は「人間一人ひとりがメディア(媒体)である」ということを最初に提唱したアーティストのひとりでした。「人間がメディアである」ということは、人間を冷たいオブジェクトであるかのように扱っている印象を受けるかもしれませんが、私は人間的で温かい概念だと思っています。本展は鑑賞者一人ひとりが媒体としてこの空間に存在する可能性を提示しようとしています。これは人間性に対する力強いステートメントであり、私たちが持つ美しい未来や到達できる場所を示しています。

 本展では過去の美術の歴史を参照しながらも、それによって固定されない柔軟な思考を自由に持ってほしいと考えています。青木さんと能勢さん、そして私のコラボレーションによって、単独では決して達成できなかった魔法のような展覧会が生まれました。

──本展は時間と空間における生命の循環を強く意識させます。例えば木々の葉の上には小さな「金のカタツムリ」が載っています。カタツムリの渦巻模様は、この展覧会の形体自体と関連していますが、多くの鑑賞者が葉のうえのこのカタツムリを見落としているかもしれません。鑑賞者が展覧会で何かを見出す、あるいは逆に見落とすという状態についてどうお考えですか。

タトル この金のカタツムリは、象徴的な存在でもあります。展覧会をつくっているとき、私はこのカタツムリがブッダが悟りを開いたときにその頭部を覆っていた「螺髪(らほつ)」に似ていることに気づきました。詩的に言えば、すべての葉が散っても、金のカタツムリ、つまり「悟り」はそこに残り続けるのです。

木々の葉の上に設置された金のカタツムリ 撮影:ToLoLo studio

 「悟り」は誰に対しても開かれた、ある意味での到達点といえます。アーティストにとってアートを完成させることは、悟りを開くことと近しいものです。そうした意味で、金のカタツムリは展覧会においてもっとも重要な部分と言えるかもしれません。

  私はアーティストではありますが、鑑賞者となんら変わりありません。鑑賞者は自身の目や心を開き、自分自身についての知性や感性を働かせることで、たくさんの詩的な体験を構築していきます。たんに作品をつくり見せるだけでなく、鑑賞者の詩的な体験の手助けができること、それこそが私の最大の願いです。本展はその目的を見事に達成できたと信じています。

編集部