作品を未来に手渡すために
──三上さんの作品を今後も多くの人が体験できるものとして残すためには、テクノロジーの発展に応じたアップデートや修復が必要になると思います。そのためには、制作に関わった人々のイメージや情報が共有されていることが前提となります。メディア・アートをはじめ、新しい素材や技術を用いた現代アートでは、作品の保存と修復が大きな課題です。おふたりは、ご自身の作品が未来のオーディエンスとコミュニケーションを取るために、どのような点を意識していますか。
三原 僕はサウンド・アートと呼ばれる音の芸術から制作を始めました。フェリックス・ヘスという尊敬するオランダのアーティストがいて、2018年に日本に展示招聘したことがあります。当時77歳だったのですが、彼の作品で修復の必要があったために展示が叶わなかった《Sound Creatures》という作品について修理の提案をしてみました。すると彼は、「電子回路が修復できたとしても、自分が現場のコンディションをチェックして、了解したことまでも含めての作品だから、自分が死んだ後に作品が展示されることはない」と結構はっきりおっしゃられたんです。それを聞いて、回路図などが残されているので残念だとは感じましたが、同時に清々しいとも思いました。
それと、本人にとっても突然だと思っているのですが、三上さんが何も残さずに突然この世を去ってしまったことで、やはり我々は三上さんの作品を修復をするときに確認したいことがあるわけです。このネジはどっちを選ぶか、みたいな細かいことまで確認できていたことがいまはできない、というのがひっかかる。
このようなアーティストの作品の残し方についての生前意思を意識した経験も踏まえて、自分は3年くらい前から、作品のレシピをつくるようになりました。そういった“作品の残し方”の試論を、去年、慶應義塾ミュージアム・コモンズで展覧会として発表しています。具体的なプログラム、設計図、システムダイアグラムなどを料理のレシピをヒントにまとめ、アートピースとして展示しました。デジタル版は、国立国会図書館のデジタルアーカイヴに収めて公開されています(*2)。

──三原さんの作品を自由に再制作できる、オープンソースとして公開されているということですか。
公開されているレシピに基づいて制作されるかぎり、自由にやってくれて構わないと一筆書いています。現在、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)で学生が授業として再制作しており、展示するそうなので楽しみにしています(笑)。自分が作品を制作するときにオープンソースの恩恵を受けたので、文化的資源循環の実践として、利用者の善意に基づいたシステムを自分も提案しています。

──平川さんは作品の仕様書などについてどう意識していますか。
平川 作品を残すという意味でいうと、オーストラリアの美術館に収蔵された作品があります。その際に美術館からは、システム図や機材リスト、理想の展示サイズといった仕様に加えて、ソースコードや素材となっている画像まですべてを提供してほしいと求められて、実際に提供しました。作品を収蔵する立場なら当然だなと思い、それからはソースコードを含め、読み解けば誰かがつくり直せる情報と一緒に作品を渡すようにしています。ただ、実際に僕の作品はスケーラブル(scalable)な作品が多いので、部屋のサイズに応じてプロジェクションのサイズが変わると、プログラミング上でパラメーターを調整しないと空間に対して最適なかたちで展示できない、というようなことが起こります。作品の印象が変わってしまうので、現場でサイトスペシフィックに決めていくしかない。それをすべて仕様に残せるかというと現実的ではないので、それは課題だと思っています。

──テクノロジーありきではなく、体験や印象を生み出すものが作品だという平川さんの考えがそのような思考の背景にあるように感じます。
僕は普段、自分からメディア・アーティストだと名乗ることはありません。というのも、テクノロジーとサイエンスはわけて考えたいと思っていて、自分にとってより関心があるのは、どちらかというとサイエンスのほうだからです。僕はサイエンスとの緊張関係を保つことで、普遍的でありながらサイエンスとは異なる何かに近づけるのではないかと考えており、そのためのツールとして、必要があればいまあるテクノロジーを使ってもよいと思っています。ですから、技術の変化によって作品の大きな主題が変わる、というようなことは起こらないはずです。こうした考え方は、制作と修復に携わるなかで、三上さんの作品からも感じてきたことです。
メディア・アートや多様な手法を用いたインスタレーションは、保存や修復に加え、作者不在の場で展示が行われる際の再現性についても、しばしば議論の対象となる分野だ。まして、細かな仕様書などを残すことなく急逝した作家の作品となれば、制作時にどのような作品を、あるいはどのような体験を目指して手がけられたのかという本質が、見損なわれてしまう可能性もある。しかし、三上晴子の作品に関しては、制作に密に関わりながら作家と作品に向き合ってきた三原聡一郎や平川紀道らの存在が、現在において最適なかたちでの展示を可能にしている。三上作品をいかに保存していくかという課題が解消されたわけではないが、没後10年という節目に、これほどの作品体験ができる貴重な機会を、ぜひ見逃さないでほしい。
*2──三原聡一郎による《レシピ:空気の芸術》の全データ、国立国会図書館デジタルコレクション。https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?publisher=%E4%B8%89%E5%8E%9F%E8%81%A1%E4%B8%80%E9%83%8E



















